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スペシャル・インタビュー
2019.11.13

【特集・第1回】ハーモニカ奏者 寺澤ひろみさんにインタビュー

学生卒業生インタビュー

ハーモニカと過ごした明治大学での4年間

関根 大学生活はいかがでしたか?

寺澤 入学してすぐ、新勧の時期にハーモニカソサエティーの先輩をつかまえて、部室に案内していただいて入部しました。ハーモニカソサエティーでは、今日私が持ってきた複音ハーモニカとはまた別の種類の「クロマチックハーモニカ」という楽器をメインで使います。

駿河台キャンパスのすぐ近くにある楽器屋さんで「ハーモニカソサエティーです」と言って、割引で購入させていただいたことを今でも覚えています。ハーモニカソサエティーの練習以外の時間には、尊敬する女性の奏者の方のところに片道2時間くらいをかけてクロマチックハーモニカを習いに行っていました。

関根 ハーモニカ漬けの大学生活ですね。

寺澤 ところが、私が3年生の春休み頃に、父がガンで亡くなってしまいました。四十九日が終わって父の部屋に入ったときに、ずらっと並んでいた複音ハーモニカと目が合ってしまって。いろいろあって避けていたけれど別にやりたくないわけじゃなかったと、また気付かされたんです。音楽はもともと好きでしたらからね。

そして、私の二十歳の誕生日に、父が複音ハーモニカ用の楽譜を書いてくれたことを思い出したんです。父親がどういうつもりかわからなかったけれど、普通に就職活動をして、仕事について、忙しくなって音楽から離れてしまうことを懸念していてくれたのかなと。

「人生一段落して、またハーモニカが吹きたいと思ったときに、この楽譜をもって僕のところにおいで。楽器はあるし、また教えてあげるから」と言ってもらったけれど、今吹くわけでもないし別にいいやと思って机の奥にしまっていたことを思い出しました。ですが、母も父のことを思い出すのもつらかったようで、「この楽器はもう捨てる」と言っていましたね。

関根 私には想像もつかないくらい、つらい別れだったのですね。

寺澤 納骨が終わると、母は「今年の10月に世界大会があるよ」と言い出したんです。父は生前、10月にドイツで行われる世界大会について、「10月のドイツはいいぞ。ビールもワインも、ソーセージもハムもおいしいし、気候がいいから君たちを連れて行ってあげたい」と言っていたことを思い出したようで。

そこで私も、就職活動も終わっている頃だろうからいいだろうと、ビールとワインに釣られてうっかり出場してみたら、入賞してしまいました。

関根 就職活動は終えられていたのですか?

寺澤 当然就職するつもりで内定をもらっていましたが、私の性格上、勤めながらハーモニカの活動をしていくのは難しいだろうと思っている中での入賞だったので、「じゃあそっちへいきますか」と、ある意味では軽い気持ちでハーモニカをやっていくことを決心しました。

帰国してすぐ、自分1人でステージをやりなさいということになって、コンサートで吹いた曲ともう1曲のたった2曲のレパートリーしかなかったのに、90分間くらい演奏しなければいけなくなったんです。

関根 いきなり大舞台が待っていたのですね。

寺澤 2曲を繰り返しで吹くわけにはいかないので、本番までは何時間もずっと吹き続けて練習をして、必死でした。いくら複音ハーモニカをはじめて半年だからと言っても、お金を払って聴きに来てくださるお客様は私をプロの演奏家として見に来るわけです。しかも、複音ハーモニカについては、世界大会に向けて独学でやってきていました。

どうにかステージを終え、この先プロの音楽家として人前に立つ、もしくは指導するための知識が全くなかったので、母に頼み込んで、音楽学校に通ったり、指揮講座に通ったりと20代の間は一通りのことを勉強して過ごしました。

※ページの内容や掲載者のプロフィールなどは、インタビュー当時(2019年11月7日)のものです

>>【第2回】では、ハーモニカの魅力や明大生についてお聞きしています!(11月14日公開予定)

※ページの内容や掲載者のプロフィールなどは、記事公開当時のものです

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