2017.05.17

株式会社ロボット 常務執行役員 安藤親広さんにインタビュー【第2回】―映画界へのきっかけと、学生時代について―


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株式会社ロボット 常務執行役員 安藤親広さんにインタビュー【第1回】は、こちら(2017年5月16日公開)

映画界に入ったきっかけ

須川 映画の世界に入られたきっかけを教えてください。

安藤 もともと僕はCMのプロデューサーでした。みなさんはロボットを映画制作会社だと思っているかもしれないけれど、昔からCMの制作がメインの会社です。僕自身、CM制作がやりたくて入社した人間でした。ところが会社の方針で、映画制作にも乗り出すことになったんです。でも、当時の僕は、本当は映画をやりたくなかった。

須川 それはなぜですか?

安藤 いまの若い人には、想像しにくいかもしれないけれど、当時、映画と言えばハリウッドか、おしゃれなヨーロッパ映画が中心で、それに対して日本映画は斜陽産業とも呼ばれた時代だったんです。会社の命令で仕方なくはじめたことが、気づけば20年以上この世界にいます。

須川 CMプロデューサー出身であることはプラスになったのですか?

安藤 当時CMは最新の機材をどんどん導入していたし、合成技術やCGも進んでいた。その経験を持ちこんだことが新鮮に映ったというのはあるかもしれません。予算管理なども映画界には昔ながらの慣習が残っていたから、最初に企画をきっちり予算化して提示したら驚かれました。こちらとしては当たり前のことなんだけど。

須川 逆に苦労した点はありましたか?

安藤 つくり方の違いに慣れる必要はありました。どちらも映像メディアではあるけれど、例えるならCMは100m走で、映画はフルマラソンなんです。その2つは、走るという意味では同じでも、呼吸法も使う筋肉も何もかも違うでしょう?だから、最初は精神的にも体力的にもつらかった。

須川 では、CMと映画を比べたらどちらが楽しいですか?

安藤 比べたことはないけど、いまのように日本映画の人気が盛り返して、多くの人がそれを楽しむことが当たり前になったと考えると、映画の世界でやってきて良かったかなと思います。

須川 日本映画の再興に貢献されたということですね。

安藤 流れに乗ってこれたからラッキーだったとも言えますが。

須川 映画を創る上で心がけていることがありましたら教えてください

安藤 映画という作品の、その先には必ず観客という存在があるわけです。ですから、プロデューサーとしては観客の目線で考えることを大事にしています。映画の設計図である脚本の段階でも、観客にどう受け止められるかを真剣に考えます。監督のやりたいことや表現したいことがどんなにすごくても、観客に届かなければ意味がないですから。

須川 そういうときは、どうやって軌道修正をするのですか?

安藤 脚本を変えるか、そのシーンそのものをやめてしまうとか、いろいろです。表現の方法は数えきれないくらいあるので。例えば、同じセリフでも役者が変わればイメージは大きく変わるので、この表現を生かそうとするなら、この役者に演じてもらえばいい、と考えることもあります。また、映画は一つひとつのシーンの複合体なので、その積み重ねで全体として伝わるように組み立てるという視点も大事です。

須川 キャスティングも表現の一部なんですね!配役は、どうやって決めるのですか?

安藤 興行的な視点から言えば、知名度は重要です。それから原作がある場合は原作のイメージにあうかどうかも考慮します。原作ファンの期待を裏切るのはリスクが大きいので。でも、全然違うイメージに変えてしまうこともあるし、こちらがどんなに望んでも役者さんのスケジュールが合わなければ泣く泣くあきらめることもある。ケースバイケースですね。

須川 エグゼクティブプロデューサーというお仕事には、また別のやりがいがあるのですか?

安藤 いまは経営にも参画しているので、会社としてのマネジメントにも責任が生じています。幸いなことに、若いプロデューサーが育ってきているので、任せることが増えてきました。本当は現場にいたい気持ちもあります。だけど、若い人にバトンを渡していくことも仕事なので。いまは、この会社を順調に継続させていくことで、次の世代が活躍する場をつくることが、もう一つのやりがいになっています。・

須川 お仕事の今後の目標を教えてください。

安藤 先ほども言ったように、会社の売上のベースはCMですが、武器は映像をつくることなので、それを生かして、今後はコンテンツメーカーとしての領域を広げたいと思っています。CMが受注産業なのに対して、コンテンツビジネスは、自分たちでつくった映画やドラマを展開していくことができる。

須川 オリジナルをつくるということですか。

安藤 ハードルは低くはないですが、プロデューサー、監督、脚本家がモチーフを持ち寄って、今の時代には、こういうメッセージが届くのではないかと考え、ゼロからつくることを、もっとやっていきたいと思っています。もっと海外のマーケットを意識した作品をつくることも大事なことですね。
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学生時代について

須川 明治大学に入学した経緯を教えてください。

安藤 高校では、将来やりたいことがまだ見つからなくて、とりあえず東京に行こうと。で、当時、東京六大学の中で、おしゃれな慶應や立教のカラーは自分には合わないと思って、バンカラなイメージだった明治大学に入学しました。今でこそ明治大学は洗練された大学という評判で、女子学生も多いみたいだけれど、僕らのころは60人のクラスに女子は2人くらいでしたね。

須川 どんな学生生活だったのですか?

安藤 広告研究部の活動は、思い出深いですね。もともと広告に興味があったわけではなかったけれど、まじめに広告のことを研究するサークルで、CMをつくってみたり、文化祭に出展したり。それから当時のメインの活動はキャンプストアと言って、毎年夏の1ヵ月間、千葉で海の家を運営していました。1年生は1週間だけなんだけど、2~3年生はその間合宿生活を送るわけで、密度の濃い時間でした。当時の友人とはいまでも付き合いがあるし、会えばいつでもあの頃に戻ってしまいます。ラグビー、野球も強くて、秩父宮や国立競技場、神宮球場にもよく応援に行きました。

須川 学生時代の経験で、いまに役立っていることはありますか?

安藤 う~ん、どうだろう。もちろん勉強してきたことをそのまま社会で生かせる人もいるだろうけれど、そうでない人のほうが多いと思います。僕は広告研究部にいて、映像の世界に入ったけれど、最初から映画がやりたかったわけではないし。英語はもっと勉強しておけばよかったと思います。アルバイトも社会を知るという意味では勉強になりました。

須川 どんなアルバイトをされていたのですか?

安藤 新宿にあったグランドキャバレーのボーイのアルバイトは面白かった。生バンドの演奏をバックにお客さんが歌ったり、ちょっと危ない感じのお兄さんがいたり、色濃い昭和の匂いを全身で味わっていました。それと並行して、小学生の家庭教師もやっていました。

須川 その後、広告制作の会社に就職されて。

安藤 僕らのころは就職活動のスタートが4年生の夏くらいからと遅かったし、いまと比べるとあまり深刻に考えていなかったかもしれない。就職課には相談に行きましたが、銀行か商社を勧められて。一応説明会には行ったけれど、どうも自分のやりたいこととは違うと感じました。

須川 最初から広告業界志望ではなかったんですね。

安藤 東京で就職するか、地元の愛知に帰るか、という選択もしなければならなかったからね。大事なのは何を楽しいと感じるかだと思います。学生の真似事ではあったけれど、CMを創るのは楽しかったから、自分がやりたいことは、何かを創ることだと気づきました。それで、広告や映像にかかわる仕事なら、やはり東京だろうと。CMは扱う商品がどんどん変わっていくし、自分の性格にもあっているのではと思って、広告プロダクション一本に絞りました。

次回は安藤さんからの明大生へのメッセージを紹介!(2017年5月18日公開予定)