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スペシャル・インタビュー
2017.04.04

オリエンタルラジオ 藤森慎吾さんにインタビュー【第1回】―就職活動と芸人への道―

政経学生卒業生インタビューエンタメ

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2004年明治大学在学中にお笑い芸人を目指して、吉本総合芸能学院(NSC)に入学。2005年に政治経済学部卒業後、オリエンタルラジオのツッコミ担当で本格的に活動を開始。『武勇伝』ネタや“チャラ男”キャラ、昨年にはRADIO FISH「PERFECT HUMAN」の楽曲で大ブレイクした藤森さん。同じ政治経済学部に在籍する4年生の木村玲緒菜さんがインタビュアーとして、現在に至るまでの背景や大学時代の思い出などに迫りました。

就職活動と芸人への道

木村さん(以下:木村)まずは、お笑い芸人を目指したきっかけを教えてください。

オリエンタルラジオ藤森さん(以下:藤森)芸人を目指したのは大学在学中のことで、一番シンプルに言うと相方(中田敦彦さん)に出会ったことが理由です。大学3年生くらいまで何もやりたいことは見つかっていませんでした。お笑いがやりたくて上京したのではなく、「東京に行きたい」、「東京の大学に通いたい」という思いで明治大学に入学しました。

木村 就職活動のタイミングで目指したのですか?

藤森 大学の友人たちが就活を始めるタイミングだった大学3年生の夏に、吉本興業の養成所NSCに入ろうと決心しました。そして友人たちが就活を終え、あとは単位を取って卒業を残すのみとなった4年生の1年間に養成所へ通い、みんなと一緒に大学を卒業することができました。大学卒業のタイミングで、養成所も卒業しました。同級生が新卒で働き始めたころ、吉本興業に所属ということになりました。

木村 一般企業への就活は行わなかったのですか?

藤森 正直、迷った時期もありました。明治大学は立派な大学ですし、就職活動にも強いと言われていますから。両親を安心させるため、お笑い芸人でダメだったときのことも考え、保険として就職活動もした方が良いのではといろいろ考えました。しかし、中途半端だとどちらもうまくいかないと思い、一大決心をして、就職活動は一切せずにお笑い芸人を目指しました。

木村 すごいですね!私もこれから就職活動が控えていますが、そのような決心はなかなかできないと思います。

藤森 小さいころから夢を抱いて、そこを目指して頑張る道もとても素敵だと思います。しかし、ほとんどの人は明確に「自分が将来こうなる」、「大学に行ってこの勉強をしてここへ就職する」というビジョンはできていないと思います。お笑いの世界もそうですが、大学在学中にさまざまな世界をちょこちょことのぞいていました。自分でやりがいを感じられ、自分で進めそうだなと思い、お笑いの扉を開いたということです。だから、さまざまな世界を見てみることは大事だと思います。

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木村 他にはどんなところを見ていましたか?

藤森 就職活動こそしていませんが、就職先についてはいろいろ考えていました。地元の長野県に帰って、銀行に就職しよう。そして、結婚して、家を建てて・・・とそのくらい具体的なプランまで考えていました。あとは、自分で起業するっていう同級生もいたので、話を聞いていました。あとは、単純に一番人気があったマスコミ業界をチェックしたり、OBを訪問して話を聞いたりなど、就職活動の準備段階まではしていました。でも、エントリーシートを取り寄せて、実際に就職活動することはなかったです。

木村 銀行員とお笑い芸人って全然違いますよね。

藤森 全然違いますよね。それくらい振れ幅があったっていうことです。

木村 キャパシティがあったということですよね。

藤森 キャパシティがあったということではないです。自分の才能ってどこかでふいに気付く瞬間があったり、気付かされます。僕が大事にしていることは、人から客観視してもらった自分の像を素直に受け入れるということです。「君はこういう性格で、これが得意だからこういうことにチャレンジしてみたら向いているんじゃない?」というように。「自分はこうで、自分はこうなるんだ」という強い意志も大事ですけどね。周りが見ている自分はどんなものなのか、それが本来の自分だったりするというのが僕の考え方なんです。人に言われたことは、かなり大事にしています。

木村 周りの人にそういったことを言われた経験があるんですね。

藤森 そういうこともありましたね。さらに、僕の場合は相方に強烈に感じました。元々相方は、別のコンビだったのですが、その相方が就職してコンビを解散することになってしまったんです。「才能もあるし、面白いから、絶対にお笑いを続けた方がいいよ」と伝え、僕と一緒にコンビを組むことを提案しました。「絶対に売れる人の隣が空いているなら俺が行くよ」って。特等席が用意されていたようなものでした。これは僕の才能でもあります。見る目があるという。相方には、ずば抜けて才能がありました。

木村 相方の中田さんには、バイトで知り合われたんですよね。

藤森 大学時代のバイト先で知り合いました。

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藤森さんの“好奇心”の秘密

木村 バイトはどんなことをされていたのですか?

藤森 自動車保険の会社で、自動車事故の受付業務をしていました。居酒屋やピザの配達などのバイトもしていたのですが、このバイトが一番良かったです。時給も良く、当時学生に人気のバイトでもありました。契約社員のような扱いで社員さんと一緒に仕事ができる環境だったので、学生時代に社会に触れることができた良い経験でもありました。

木村 大学時代に一番力を入れていたことは何ですか?

藤森 最初は、テニスサークルでした。大学に入って最初の夢が、彼女を作るっていうことでした。まだ東京になじめていない感じでしたが、いい出会いもあり、大学1年生の冬くらいに彼女ができました。もちろん、テニスもしていましたし、みんなで集まるのも楽しかったのを覚えています。でも、バイト先もそうですが別のコミュニティができたりして、サークルは途中で辞めてしまいました。

木村 大学の中で磨かれていって、今のキャラがあるんですね!

藤森 そうかもしれないですね。大学でちょっと解放されてしまった感じかもしれません(笑)。

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木村 明治大学のおかげでもありますか?

藤森 誰とでも向き合えたり、明るくなれたのは明治大学のおかげでもあります。いろんな人に会って、コミュニケーションをとる訓練になりました。地元の長野はもっと狭いコミュニティで、会う人も限られて、新しい出会いの機会も少なかったです。大学に行きその機会が無数に存在したことで、自分のすごく社交的な部分を見つけることができました。

木村 大学時代のご友人と今でも会ったりしていますか?

藤森 大学時代の友人に10年経って、再会すると面白いですよね。テレビ業界に就職した友人もいて、ディレクターやカンペを出している同級生もいました。それは本当にうれしいことでしたし、何より初めて一緒に仕事をする人よりもお互いに意思の疎通もできているのでアドバンテージもありました。

木村 仕事で関わる方もいらっしゃるんですね。

藤森 あとは、他業界で働いている友人の話を聞くことは本当に面白いです。例えば、銀行といっても実際にどんな業務があるか分からないですし、実はこんな仕事をやっていて、これも銀行員の仕事なんだよと。若い時は、このような話はしなかったけど、30歳過ぎたころから同世代のさまざまな職種の人と話をすることが楽しくなりました。やっぱり芸人同士集まると、必要なことではありますが、お笑い番組の話がどうしても多くなってしまう。金融だったり、広告だったり、さまざまな業界の話が聞けるのは、いろんな人脈があって良かったなと思っています。

木村 例えば、経済について話をされるようなこともあるのですか?

藤森 日経平均や株の売買といった具体的な話はしませんが、日本の経済が今どんな状態なのかくらいは話をします。知らなかったとしても芸人の仕事はできますが、知っていれば仕事に返ってくることもある。これは、僕の好奇心でもあります。流行っているお店の同世代の友人に、どうしてヒットしたのと質問してしまいます。多くのお店が並んでいるなかで、どうして売れたのか。そういうことを考えたり、聞いたりすることが好きで。飲食店でいえば、窓の配置一つでお客さんの見える風景だったり、印象も異なります。いろんなところにヒットの法則があって、売れる仕組みを知りたい。お笑い芸人も人気が出るには、何かしらのロジックがあると思います。そういうことが面白いです。

木村 いろんなことに興味があるんですね。

藤森 そうですね。いろんなところに興味があって、好奇心も自分の武器だと思っています。

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オリエンタルラジオ 藤森慎吾さんにインタビュー【第2回】は、こちら(2017年4月5日公開)

※ページの内容や掲載者のプロフィールなどは、記事公開当時のものです

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