2023.05.01

【特集】オリエンタルラジオ 藤森慎吾さんにインタビュー


こちらの記事は、「明治の“いま”がこの1冊に!」 季刊 広報誌『明治』第97号「この人に聞く」からの転載になります。

明治大学在学中に「オリエンタルラジオ」を結成。大学4年次に発表した「武勇伝」が話題となり、若くしてブレイクを果たした藤森さん。学生時代は「The 大学生」という生活を送っていたそうですが、周りが就職活動を始める時期にお笑いの道に進むことを決意します。振り返るとそこには、さまざまな友人との出会いやつながり、そして両親の支えがありました。
プロフィール藤森慎吾さん(2005年政治経済学部卒業)

  • 1983年長野県生まれ。2005年明治大学政治経済学部卒業。
  • 中田敦彦さんと「オリエンタルラジオ」を結成し、2004年にNSC(吉本総合芸能学院)へ。同年、リズムネタ「武勇伝」で『M-1グランプリ』準決勝に進出して話題となり、デビュー当初よりブレイク。バラエティ番組を中心に活躍する。2016年、自身がボーカルを務める音楽ユニットRADIO FISHによる楽曲 『PERFECT HUMAN』でNHK紅白歌合戦にも出場。
  • 芸人としてだけではなく、俳優、歌手、声優などその活動は多岐にわたる。2020年、自身のYouTubeチャンネルも開設し、人気を博している。2021年より吉本興業所属から独立し、フリーとなる。
  • 第58回日本レコード大賞・企画賞「PERFECT HUMAN」(2016)受賞。

明治大学の結束力

――(聞き手・竹山マユミさん〈フリーアナウンサー/広報誌『明治』編集委員〉)明治大学に進学された理由を教えてください。

藤森 シンプルに「明治大学を知っていた」ということが大きかったです。私は長野県の出身で、地方の学生からすると東京の大学は「名前を聞いたことがある」ということが一番のブランドで安心感につながっていました。その中でも明治大学はその名も歴史も有名でした。もちろん他の大学も受験しましたが、決め手となったのは立地です(笑)。他の大学のキャンパスも見ましたが、とてもすてきな場所にある駿河台キャンパスと、雰囲気が良い和泉キャンパスを見て、この大学に通いたいという気持ちが強くなりました。

また、ビートたけしさん(2004年特別卒業認定)や星野仙一さん(1969年政治経済学部卒業)という子どもの時からテレビで見ていた方たちが通われた大学で「かっこいい」という印象がありました。

――久しぶりに訪れた和泉キャンパスはいかがですか?

藤森 見違えましたね。また通いたいなと思うぐらいすてきなキャンパスです。今いる「和泉ラーニングスクエア」はとてもおしゃれで、初めはデザイナーズマンションかと思いました。私は、大学での出会いは特別なものだと考えているのですが、エントランスなんてまさに、自然に人と出会えるような空間ですよね。

18年ぶりに母校を訪れた藤森さん

――学生時代はどのように過ごしましたか?

藤森 真面目......かどうかは自信がないですが、バイタリティーあふれる「The 明治」というような学生だったと思います(笑)。キャンパスそのものが大好きで、友人に会うこともできるので、授業がない日にも大学に来ていました。大学では、友人関係を築けたことが一番大きかったと感じています。勉強はもちろん一生懸命やっていましたが、サークル活動などを通じた出会いはかけがえのないものですね。

――サークル活動は何をされていましたか?

藤森 これも「The サークル」のテニスをやっていました。入学した時には、サークルを中心とした大学生活に憧れを持っていたところもあったのでテニスサークルに入りましたが、他にやりたいことができたので、1年で辞めてしまいました。この時はまだお笑いの道を目指していたわけではありませんが、紆余曲折があってまた別のサークルに入り、部室で友人とダラダラと話すような生活が1年半ぐらい続いていました。

サークルでは、仲間と「おお明治」と校歌を歌ったことが思い出です。ラグビーの試合などで歌われているから、すごく有名ですよね。私もラグビーの早稲田大学戦は応援に行っていましたが、明治大学の結束力を感じる空間でした。

――明治大学の卒業生は横のつながりが強いと感じる時がありますよね。

藤森 芸能界は明大出身者が多く、私と近い年ですと今一緒に番組をやっているパンサーの向井慧さん(2008年政治経済学部卒業)や、山下智久さん(2008年商学部卒業)、北川景子さん(2009年商学部卒業)がいます。テレビ局では、先輩のディレクターさんでも「明治なんだよ、僕」というだけで、初対面でも心が通じ合えたような気になれます。

また、学生時代からの知り合いと仕事で一緒になることも多く、「ちょっとこれ頼むよー!」という感じでスムーズに話が進むので、学生時代のつながりは大事だなと実感しています。私のサークルの同級生でテレビの制作の仕事をしている友人がいるのですが、卒業後に一緒に番組をつくることができた時はうれしかったですね。

お笑い芸人を目指す決意

――藤森さんは学生時代からお笑い芸人として活動されていましたね。

藤森 お笑い芸人の道に進むことを決めたのは大学在学中でした。駿河台キャンパスに通い始めた3年次の夏ごろだったと思います。当時の私はお笑いの道に行くことに対して、自信がないわけではなかったのですが、それを言って周りに笑われてしまうのが嫌だったので、何かを成し遂げてから打ち明けようと決めていました。同級生が就職活動を始めたぐらいのタイミングだったので、周りからは「慎吾、就職活動してないし何考えてるの?」と言われることが多くなり、言えないもどかしさや葛藤がありました。

――もし、お笑いを選んでいなかったら、どのような道に進まれていたと思いますか?

藤森 普通に就職活動をしていたと思います。地元に帰ろうかなという気持ちがあったので、長野県の企業に就職できたらうれしいなというのは考えていました。ただ実際その線は薄かったかもしれないですね。お笑い芸人ではなくても、表に出るような仕事をしたいなとずっと思っていました。

――「武勇伝」のネタで中田敦彦さんとのコンビ「オリエンタルラジオ」が一躍有名となりました。周りの皆さんは驚かれたのではないでしょうか。

藤森 「武勇伝」を最初に発表したのは大学4年次の時の『M‒1グランプリ』でした。周りの友人から「なんだ芸人やってるのか。しかもすごいらしいじゃん」と言われ始め、その頃から「実は4年次からお笑いの養成所に通って、卒業と同時に吉本入るんだ」という話をするようになりました。

――ご両親には報告されていましたか?

藤森 就職活動をしていなかったので「あんたどうなってるの!」と母から叱りの電話が何回もかかってきていました。何回目かの時に観念して、お笑いの道を目指していることを伝えました。

――反応は......?

藤森 たぶんショックを受けていたと思います。うちの家系で初めて私が大学に進学し期待もあったと思うので、言葉にはしませんでしたがショックを隠せていなかったような気がします。でもすぐに「思うようにやってみなさい」と言ってもらえました。

――藤森さんのことを信頼されていたんですね。

藤森 私が親の立場だったら絶対に嫌ですけどね、そんな訳の分からない道に行くと言われたら(笑)。ただ、後日談ですが母は相当悩んでいたようです。父は単身赴任が多く一緒に住んでいる時期も短かったため、私は何かあると全て母に相談をしていました。お笑いの道を目指す時も「母に報告すれば父にも伝わるだろう」と考えていました。それで、デビューして2、3年が経ったころに母は体調を崩すほど悩んでいたようで、こっそり父に相談していたという話を聞きました。そんな状況でも後押しをして見守ってくれたこと、大学を卒業させてくれたことも含めて、両親にはとても感謝をしています。

学生時代の出会いは人生を変える

――大人になってから学び直しをしたいという人が増えていますが、藤森さんが今、もう一度明治大学に入学するとしたら何を勉強したいですか?

藤森 もう一度、政治経済学部経済学科で経済を学びたいです。年齢を重ねて感じるのは、自分の生活に直接関係しなくても、コミュニケーションをする上で一般教養や常識を知らないのは恥ずかしいですし、そういう目で見られてしまうということです。在学中一生懸命勉強をしていたとお話をしましたが、お笑いの道を目指すことを決めてからは「芸人になるから、まあいいか」と勉強をおろそかにしてしまった時期があり、経済について基礎的なことでも理解できていない部分があります。

株など投資のこと、また事務所を独立したので芸能以外のことも勉強していく上で、経済のことは一般教養としても大事なことだなと痛感しています。学生の頃は、そういったことを学ぶことができる環境のありがたみを実感できていなかったので、大人になって大学で学び直したいという人の気持ちはすごく分かります。

――勉強以外ですといかがでしょうか?

藤森 落語研究会に入ってみたいです。お笑いの知識がないままにこの世界に入ってしまったので、お笑いの起源や基礎を学んでいたら、今とは違った形になっていたかもしれないですね。相方は他の大学ですが、一時期お笑いの研究会に入っていたことがあるようです。

――相方の中田さんとはどのように出会われたのでしょうか?

藤森 学生時代にアルバイト先で出会いました。大学生専門のような職場で、学生がたくさんいる中の一人が相方でしたね。学生時代の出会いというのは、大学内に限らず人生を大きく変えると実感しています。大人になってからだとビジネス上のつながりは増えますが、新たに知り合って仲良くなることは少なくなりますよね。当時は、人脈を広げようという思いは一切なくて、純粋に人に興味を持って接していたのが良かったのかもしれません。相方だけではなく、今でもつながりを持っている友人がたくさんいます。

学生との交流の様子

明治大学の誇りを胸に

――今後の目標を教えてください。

藤森 お笑い芸人やタレント活動以外にも、お芝居や舞台、声優などの仕事をさせていただき、今後も自分にできることは絶えずやり続けていきたいと考えています。今、特に挑戦したいのは、大河ドラマに出演することです。ただ、芸能界の仕事は自分でやりたいと思っていてもオファーがなければできないので、オファーを頂き続けるにはどうしたらいいのかということを考えています。「俺はああしたい、こうしたい」とばかり言っていても、扱いづらい人間だと思われてしまうでしょう。地味なことでもコツコツと積み重ねて、皆さんから信頼していただけるよう、努力をしています。

――大河ドラマは、脚本家の方や演者さんも明治大学出身の方が多く関わっていますよね。

藤森 多いですよね。業界全体でも明治大学出身の方はたくさんいらっしゃるので......。「明治閥」の皆さま、オファーをお待ちしております(笑)。

――藤森さんが考える明大生について、お聞かせください。

藤森 明治大学の卒業生は、社会に出て人材として重宝されているイメージがあります。コミュニケーションをとるのが得意で相手の懐に入ることができ、かわいがられる人が比較的多いということですかね。企業の方とお話をした時も「明大生はハキハキとしていて良い人材が多い」と聞き、誇らしく思ったことがあります。社会に出ると学閥のようなものがあるケースがありますが、誰とでもうまく渡り合えるのが明治大学の卒業生で、私自身もそういう芸風かなと思っています。いろいろな先輩にかわいがってもらったり、後輩にいじられたり(笑)。

これが適切な言葉かは分かりませんが「ちょうどいい」んだと思います(笑)。頭の良さをひけらかすわけでもないけど、おバカではない。良い意味でプライドを持たず、臨機応変に機転が利くので、世の中にとってバランサーになる人材が多いのかなと考えています。

――最後に、明治大学の後輩の皆さんに向けてメッセージをお願いします。

藤森 学生生活を通じて、友人をたくさんつくってほしいなと思います。コロナ禍の影響でリモート授業など学校に通わなくてもさまざまなことが可能な時代にはなりましたが、やはり大学に来たら楽しいことは間違いないですし、明治大学のこれだけの環境は友人と出会ったり、語らったり、ディスカッションしたりするためにもあると思います。ぜひ明治大学に自信と誇りを持って、学生生活を過ごしていただきたいなと思います。

――今後も応援させていただきたいと思います。ありがとうございました!

明治大学オフィシャルサイトで「藤森慎吾さんが18年ぶりに母校・明治大学へ」を公開しています。ぜひご覧ください
※ページの内容や掲載者のプロフィールなどは、季刊 広報誌『明治』第97号発行当時のものです