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スペシャル・インタビュー
2022.04.21

【特集・第2回】東京2020オリンピック卓球混合ダブルス金メダリスト 水谷隼さんにインタビュー「大学生活を通して感じた成長」

政経卒業生インタビュースポーツ
東京2020オリンピック男子団体のダブルスでは、丹羽選手(右)と明治大学ペアを組んだ(写真:千葉 格/アフロ)

大学生活を通して感じた成長

――明治大学に入学を決めた理由をお聞かせください。

水谷 高校卒業後の進路を考えていた時に、卓球で世界を目指すことを前提に「大学進学」「実業団」「プロ転向」という3つの選択肢で悩んでいました。学業もしっかりと続けていきたいと思っていたので、大学に進学することを中心に考えていたのですが、明治大学は合宿所と練習場が併設されていて24時間練習ができるなど、世界で戦うために素晴らしい環境が整っていました。また、学業の面でも当時から人気の大学だったので、文武両道を目指す上でも魅力的でした。

当時は、青森山田高校から関東の大学に進学することは珍しく、明治大学に進学したのも私が初めてだったようです。中学、高校とドイツに留学しており、日本で学校に行くことがなかなかできなかったので、明治大学ではいろいろなことを学びたいと考えていました。私の中で大学は、高校までよりも授業時間が長かったり、クラスの友人と学食で時間を過ごしたりするイメージがあったので、そういうキャンパスライフも経験できたらいいなと思っていました。

――卓球部に入部した時の印象はいかがでしたか?

水谷 当時は部員が約30人おり、先輩方にはとても良くしていただきました。「明治がやらねば誰がやる」というスローガンのもと、全日学(※1)で優勝するような実力のある選手ばかりの環境は卓球選手としてすごくうれしかったですし、ここでもまれてさらに強くなろうという気持ちになりました。

大学の練習は、監督やコーチが見に来ることが少ないのですが、明治大学は常に指導者が側についてくれていました。また、私は週に5日程大学の練習に参加していたのですが、休みの日でも自主的に練習する選手が多かったです。

――国際試合で活躍されていたので部の活動から外れることが多いと想像していましたが、大学で活動する時間も多かったのですね。

水谷 他の選手に比べると部の練習への参加日数は少なかったですが、そういう時でも周りの方々が理解してサポートしてくださいました。その結果として、関東リーグやインカレ(※2)でチームの優勝に貢献することができ、高校生の時から続く全日本選手権での連覇も成し遂げることができたと思います。

4年生の時には主将を務めさせていただきましたし、卒業してからも卓球部にはかなりお世話になりました。卒業後4〜5年は明治大学を拠点に練習していたので、その頃にはオリンピック男子団体のダブルスでペアを組んだ丹羽孝希選手(本学政治経済学部卒)も入学してきていましたね。

大学3年次に全日本選手権男子シングルスで5連覇を達成

――明治大学で特に成長したと思うことはありますか?

水谷 人間として成長できたと思います。高校生の時はとがっている部分があり、一匹狼で全員がライバルのように感じていましたが、大学では団体戦で部員と一緒に試合に出ることが楽しかったですし、そのような時間を過ごすことができるのがとてもありがたかったです。

このように考えることができるようになったのは、「卓球は一人ではできない」という気持ちが醸成されたからだと思います。それまでは自分を前に出し過ぎるところがありましたが、大学に入って監督をはじめとした指導者の方やチームメイトが遠征にも帯同してくれるなど、一緒に戦っていただいたので自分も周りを思いやる気持ちを持つことができるようになりました。明治大学の卓球部は、とても居心地が良かったですね。

※1 全日学:全日本学生卓球選手権大会(当時)
※2 インカレ:全日本大学対抗卓球選手権大会(当時)

>>【特集・第3回】では、「刺激的な学生時代に多くの経験を」についてお聞きしています!(4月22日公開予定)

※ページの内容や掲載者のプロフィールなどは、季刊 広報誌『明治』第93号発行当時のものです
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