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スペシャル・インタビュー
2018.11.01

【特集・第3回】作詞家・作家 児玉雨子さんにインタビュー

学生卒業生インタビュー

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【第2回】作詞家・作家 児玉雨子さんにインタビューは こちら

「文学少女」ではなかった子ども時代

池田 文章を書くことは、子どものころから得意だったのですか?

児玉 得意ではなかったのかなと思います。ものを書くようになったのは高校生になってからでしたね。小学生の時はほとんど読書をしていなくて、いわゆる「文学少女」ではありませんでした。それどころか、小学校の時の読書感想文に、その本のつまらない理由を書いたくらいです。「読書感想文の書き方」について書いてある本を参考に眺めていたところ、「つまらなかったら、つまらない理由を書けばいい」と書いてあったので、その通りに書いたら先生に呼び出されてしまいました(笑)。

池田 正直な感想を書いたわけですね(笑)。

児玉 それがきっかけになって、読んだり書いたりすることが少し嫌いになりましたね。小学校高学年の国語の授業で、俳句を書いてペットボトルのお茶の俳句コンクールなどにみんなで応募したりして、それが何度か入賞するようになってから、「読書感想文で先生に呼び出された」という読書や書くことへの抵抗感が、徐々になくなっていったという感じでしたね。音楽にも苦手意識があったのですが、同時期に学校内の作詞作曲コンクールで何度か選ばれてから「おもしろいなぁ」と感じるようになりました。中学校に入ってからは、小説でもマンガでも、本を読むのが好きになりました。

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作詞家と学生を両立しながら、ふたつのテーマで論文執筆

池田 企業への就職はせず、「作詞家としてやっていこう」と決めたのはいつごろですか?

児玉 私が大学4年生の年は、企業の採用活動の解禁が遅くなった年でした。通例ではもっと早い時期から内定をもらうものですが、私はその時期が遅くなるというのがすでに決まっていたこともあって、のほほんとしていたところもあります。そのころには、メジャーでも書かせてもらえるようになっていて、勉強以外は作詞ばかりをしてきていたので、“就活対策”のようななことを一切していなかったんです。3社だけエントリーシートを出しましたが、案の定、全滅しまして……(笑)。逆に良い意味で自分を追い込んでいたので、「この先は作詞家でやるしかない」と決心しました。最終的には、作詞の仕事をしながら大学院の文学研究科に進学することになったのですが。

池田 大学院に進学されたのはなぜですか?

児玉 文学部の卒業論文で書きたいテーマがふたつあったんです。でも、それが全くつながらないことだったのと、卒業論文をふたつ書き上げるような時間は取れないので、ふたつ目のテーマは、思い切って大学院で研究して、修士論文にしようと思ったからです。

池田 お仕事もあり、忙しかったのではありませんか?

児玉 これは専攻ごとに違うと思いますが、私の場合は学部よりは授業の数も少なかったですし、週に何日か授業に出てたまに発表するという感じだったので、仕事と両立することができました。

池田 文学部の文芸メディア専攻では、卒業論文ではなくて卒業制作でも良いそうですが、あえて論文にされた理由はどうしてですか?

児玉 私は書くことが好きなので、卒業制作で文章を書こうと思ったら遊びのようになってしまうと思ったんです。お勉強は苦手なので、どうせならちゃんと苦しもうと。仕事先でお会いする大人の皆さんから、「年を取っていくと体力がなくなっていくから、無理ができなくなるよ」とよく言われていたんです。「若いうちにやれることをやっておけ」とも、よく言われていたりしますよね。だから、少ししんどいことをあえてやろうと思って、卒業論文を書くことにしました。でも、結果的に、研究したい作品を読んでいたら楽しかったので、しんどいというよりも楽しく取り組みました。まだ私も社会人としては若い方なので、偉そうなことは言えませんけどね。

池田 卒業論文で描きたかったふたつのテーマとはどんなことですか?

児玉 学部の卒業論文では、谷崎潤一郎のとある作品試論、大学院の修士論文では、吉屋信子という少女小説の作家の研究をしました。吉屋は三つの作品試論を合わせて1本の修士論文としてまとめました。すでに語り尽くされていることですが、吉屋が書く<エス>という当時の女学生同士の親密な関係と少女像の研究をしてみたかったんです。

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リアルな学生体験が、作詞家としての強みに

池田 児玉さんは、女性アイドルの詞を多く書かれていますが、歌詞の中に出てくる人物像には研究した内容の影響を受けている部分もありますか?

児玉 吉屋の作品は、明治時代後期や大正時代のものなので、直接影響を受けているところはないと思っています。勉強したことよりも、学生生活の中でキャンパスに題材がたくさんあるので、作詞という点では、大学に行ってすごく良かったと思っています。

池田 作品に出てくる女の子たちのモデルは、明大生ということですか?

児玉 明大生もいれば、明大生ではないかもしれませんが、大学近くの喫茶店にいた子がモチーフになっていたりしますね。

池田 御茶ノ水の街にいた人が、実は今までの作品に出てきているのですね。

児玉 楽曲に出てくる街の多くは渋谷という設定にしているんです。本当は御茶ノ水にいた子を渋谷に移して書いていたりしますね。キャンパスや周辺の学生の様子を間近に感じられたのは、大学生であったことの特権だと思っています。

池田 同じ大学生だったからこそ、リアルな目線で見ることができますよね。

児玉 大学に入って作詞のお仕事をして、必ず枕詞(まくらことば)として「現役女子大生作詞家」と言われてしまうのが少し嫌だったのですが、上の世代の人だとわからないことを、見たり聞いたりできる環境にいられたのは、今思えば自分の強みになったと思っています。喫茶店に行って、そこにいる女の子を見て、「あの子は何学部だろう?」と観察したりしていましたよ。

※ページの内容や掲載者のプロフィールなどは、インタビュー当時(2018年8月22日)のものです

>>【第4回】では、作詞家としての目標や、明大生へのメッセージなどをお聞きしています!

※ページの内容や掲載者のプロフィールなどは、記事公開当時のものです

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