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2026.04.24

森宏明選手インタビュー|ミラノ・コルティナ冬季パラリンピックでの挑戦と明治大学で知った「ありのままの自分でいることの大切さ」

卒業生インタビュースポーツMeijing

森宏明選手(2019年文学部卒業)は、ミラノ・コルティナ2026冬季パラリンピックで、クロスカントリースキーのオープン10kmリレーに出場。日本チームの第2走を担い、7位入賞に貢献しました。今回はパラリンピックでのエピソードや明治大学体育会スキー部での思い出、そして今後の目標などについて伺いました。

プロフィールミラノ・コルティナ2026冬季パラリンピック クロスカントリースキー日本代表
森宏明選手(2019年文学部卒業)

パラリンピック出場を経て改めて感じた周りの人々への感謝の気持ち

――森選手は北京2022パラリンピックに続く、二度目のパラリンピック出場となりましたが、まずは大会を終えての感想を教えてください。

森宏明選手(以下:森) 前回の北京大会が終わってからここまでの4年間の挑戦として、今回のミラノ・コルティナパラリンピックでは戦う気持ちを持ち続け、上位を目指し、メダルを取りに行くという強い気持ちを持って臨みました。

私は普段会社員をしているため、仕事と競技の両立がなかなか難しく、さまざまな制約がある中で、いかにして世界の選手たちと戦っていけるのか、を挑戦のテーマとしていました。そんな中でも、2大会連続でパラリンピックという大舞台に立てたこと、諦めずにそして大きな怪我なく、挑戦し続けた自分が誇らしく、素直に褒めてあげたいです。

――二度目の出場となった今大会ですが、どのような思いで挑戦されましたか。

森 北京パラリンピックに初出場した時に感じたことは、世界各国のトップレベルの選手たちがこの舞台に命を懸けて全力で戦いに来ていることです。その姿を目の当たりにし、大会に出場するだけではダメだと痛感しました。そこからこの4年間の挑戦が始まりました。気持ちの面もそうですが、まずは限られた時間の中でスキーの技術としても勝負ができるところにまでステージを上げていかないといけないところからスタートしました。

私は高校2年生の時に事故に遭い、そこから大学3年次で未経験ながらにスキーを始めました。最初に始めた頃は競技経験がなかったこともあり、自分一人の挑戦として取り組んでいましたが、気がつけば家族や応援してくださるいろいろな方々のサポートがあるからこそ、競技ができていることを実感しました。そこからは自分だけの挑戦ではないという感謝の気持ちを持ちながら、日々の練習にも取り組んだ結果がパラリンピック出場につながったと感じています。

――周囲のサポートも受けながら挑んだ、今回のパラリンピック。クロスカントリースキー10kmのオープンリレーでは日本チームは見事、7位入賞を果たしました。まずはリレーのメンバーとして選抜された時の心境を教えてください。

森 オープンリレーに選ばれた時は、新田佳浩選手と川除大輝選手のエースお二人と一緒に走ることで正直プレッシャーを感じましたが、日本チームのために自分ができる最大限の力で走ろうと覚悟を決めたことを覚えています。

――森選手は第1走の新田佳浩選手からバトンを託される2走で滑走されましたが、どのような思いでレースに挑まれたのでしょうか。また、第3走・4走の川除大輝選手へどのような気持ちでつないだのでしょうか。

森 1走の新田選手がいい位置でつないできてくださったので、2走の自分としてはいかに上位との差を広げず、3・4走の川除選手につなげられるかを考えて、挑みました。私が考える第2走選手の役割は、「つなぐ役割に徹する」ことだと思います。新田選手の後に滑るということで、プレッシャーはありましたが、次の川除選手につなぐという意識を持ち、2走として与えられた役割を最大限に発揮することに集中しました。

ミラノ・コルティナパラリンピックでは、個人の成績を上げることはもちろんですが、チームワークが求められるリレー種目をより強化していく戦略を掲げ、日頃からみんなで練習していましたので、今回こうして7位入賞という成果が出て本当にうれしかったです。

――3選手の皆さんで頬に日の丸のシールを付けて、レースに挑んでいた姿がとても印象的でした。

森 シールは、ミックスリレーに出場した阿部友里香選手がオープンリレーの選手の分まで準備をしてくださっていました。いざ貼ってみるとよりチームの絆を感じることができ、チームのために自分ができる一番いい走りをしようという力が湧きました。各選手が「チームのために」という思いが一緒になり、選手同士でつながれたと思います。チームワークを発揮することができた一つの理由は、日の丸のシールのおかげかもしれません。

日の丸を付けて挑んだ10kmのオープンリレー。見事、7位入賞を果たした(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

――森選手が感じるチーム戦ならではの醍醐味を教えてください。

森 やはりチームワークを感じられるところです。チーム戦は、前の走者からの思いが自分に伝播し、その思いを次の走者に自分がプレーで伝え、チームのために献身性を持って挑むこと。これこそが最大の魅力だと感じています。

また、自分よりも経験も実力も上の選手がチーム内にいることで不思議と自分の能力が引き上がる人がいると思っていて、まさに私がそうなんです。これは個人だと発揮できない力だと思っています。苦しい局面ももちろんありますが、前の走者の思いを受け取って、最後はチームのことを思うと自然と体が動く、そんな感覚になります。自分の限界を超えた走りができたのは、チーム戦だったからだと思います。

――二度のパラリンピック出場を経て感じた一番の成長について教えてください。

森 自分のことをより信じることができるようになりました。北京からのこの4年間は本当の意味で自分自身との戦いでした。自分をどれだけ信じ、己の限界と向き合い、普段の練習にも真摯に向き合い、自信を着実に積み上げてきました。自分を信じることで、前回大会よりも競技に対する意識だったり、時間の過ごし方までもが変わりました。今大会が終わった今では、自分を最後まで信じ、最後まで自分の持てる力を出し切れたことで、充実した納得感を感じています。

在学中に出会ったクロスカントリースキーと明治大学での思い出

――最終学年で明治大学体育会スキー部に所属されましたが、成田収平監督(1987年政治経済学部卒業)から言われた言葉の中で印象に残っているものはありますか。

森 成田監督から「森くんは同じ明大スキー部の仲間、一員だから」と言われたことです。私は大学4年次にスキー部に入部したのですが、入部のタイミングがちょうど他の選手たちはインカレに向けて頑張ろうという時期でした。私は他の選手たちとは目指す大会やスケジュールが異なる中、この言葉を監督から言われた時に初めてスキー選手としての自覚が芽生えました。障がい者だからという特別扱いではなく、本当に一人の部員として接していただいたことは、励みになり、今でもずっと自分の挑戦を後押ししてくれています。

――明治大学での一番の思い出は何ですか。

森 明大での思い出はたくさんありますが、私自身、今でこそ義足を出して歩いていますが、当時は自分が障がい者であることを広く周りには伝えておらず、知っている人は少数でした。そんな中、明治で出会う友人たちと何気ない会話をする中で、自分をオープンに受け入れてくれる感覚がありました。友人たちと一緒に過ごす中で、自分という存在をオープンに知り受け入れてもらえたことで、ここではありのままの自分でいていいんだと自然と思えるようになりました。

今思えば、当時のその環境こそ、大学の理念である「『個』を強くする大学」をまさに体現していたと感じています。明大で出会った友人たちと過ごした時間があったからこそ、早い段階で本当の自分でいていいんだと思うようになりました。当時の友人たちには本当に感謝しています。

――明治大学を卒業して良かったと感じるところを教えてください。

森 普段は会社員をしている中、仕事上で明治出身の方と出会うことが多々あります。明治の卒業生という共通点で簡単に打ち解けることができ、明治マインド・スピリットを共有することができます。明治の卒業生は皆さん人当たりが良く、ハートフルで温かい方が多いです。明治出身というだけで盛り上がりますし、応援もしてくださります。明治のコミュニティの強さと安心感を卒業した今、とても強く感じています。

また、こうして大学に帰ってくることができて、本当にうれしく、幸せな気持ちでいっぱいです。自分のことを大学で取り上げてもらうことで、多くの方々に応援していただき、また皆さんに良いニュースを届けて、という好循環が生まれ、さらに明治とのつながりが強くなっています。

明治大学での思い出を語る森選手

森選手からのメッセージ

――今後の夢や将来の目標について教えてください。

森 会社員とパラリンピック競技者との両立をこの7年間してきましたが、自分を信じながら今回のミラノ・コルティナまで戦い抜いてきたことで、悔いのない競技生活を送ることができました。競技との両立は決して簡単なものではありませんでしたが、周囲の方々の理解とサポート、そして応援してくださるファンの皆さんがいたからこそ、ここまで続けてこられました。

今後は、競技生活に一区切りを付け、この経験を社会に少しでも還元していきたいと思っています。まだこの先どうスポーツ界と関わっていくかは分かりませんが、パラリンピックを目指す次世代選手にできる支援を考えていきたいです。世界の厳しさを現場で感じてきた経験から今度は自分がサポートする側になって、パラ競技の魅力を伝えていきたいです。

自分の人生を改めて振り返ると、大きな局面ではその都度自分で判断・決断してここまで進んできました。考えてみれば、一つ一つの選択から歩んできたこれまでの道のりは再現性がなく、どれも奇跡的なことだったんだと感じています。これからも誰も予想しないような、驚くような選択をして、人生を歩んでいきたいと思います。

――最後に明大生に向けてのメッセージをお願いします!

森 私自身、高校生の時に交通事故で両足を失い、これまでずっと続けていた野球ができなくなるという、人生を失いかけた経験があります。失ったものはありましたが、逆に言えば残された選択肢を不幸なものにせず、ある種自分に課された制約として捉え、ここからどういう風に現状を良い方向に変えていくか、と気持ちを切り替えました。過去は変えられませんが、自分のこれからの選択次第で、未来は良い方向に進んでいけると信じ、明治大学への進学や、会社員と競技者との両立を選択してきました。これも残された選択肢を最大限に生かしてきた結果だと思っています。

また、私は大学3年次からスキーを始めましたが、最初は未経験ということもあり、スキーをすること自体が怖かったです。ただ、未経験から挑戦することは「自分で行動していけばやがて何かが見えてくるはずだ」という思いもあり、まずは飛び込んでみようと挑戦しました。大学時代に未知の世界に挑戦したことで二度のパラリンピック出場という経験ができたことは、大きな自信になっています。居心地の良い場所から離れ、全く異なる環境に飛び込むことは、とても勇気のいることですが、間違いなく自分をレベルアップさせてくれます。

明大生の皆さん、これからさまざまな選択をする時が多々あるかと思いますが、自分を信じて最後まで後悔のない選択をしてほしいです。皆さんのこと、応援しています!

――大変貴重なお話を伺うことができました。本日は、ありがとうございました。

森選手のMeijingは「自分の限界を更新し続ける」を意味する “Updat” ing
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