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2019.02.18

【体育会レスリング部】米川優人選手「最後まで戦い抜いた不器用なレスラー 」

こちらの記事は、『明治大学広報』第724号(2019年2月1日発行)からの転載になります。

米川優人選手

所属 体育会レスリング部
学部 / 学年 学部 / 4年
出身高校 八千代松陰高等学校
身長 / 体重 167㎝ / 106㎏

「すごい所に来ちゃったな」。煌々と照らされる場内に、マット際に控える大勢の報道陣。五輪選考にも関わる天皇杯全日本選手権で、米川優人(農4=八千代松陰)は10年間の競技生活に終止符を打った。

絵に描いたような〝不器用〟だ。大学で各部を縁の下で支える主務。チームマネジメントや外部とのパイプ役など、仕事は多岐にわたる。「次から次に出てくる仕事を一気にやろうとしてパンクして」。レスリング部主務の米川も練習と両立しながら、主務業に奔走した。

一方、競技面でも思い悩んだ。米川の階級は最重量の125キロ級。選手数が少なく、団体戦のリーグ戦では一つ下の97キロ級と統一される。97キロ級には、10年ぶりインカレ王者に輝いたエース・二ノ宮寛斗(営3=岐南工)が在籍。「練習でやっても格が違う。チームが勝つにはニノが出て当然」(米川)。言葉とは裏腹に、結果が残せない自分がもどかしい。就職活動の合間に練習を重ねる日々。1カ月後の東日本春季選手権で優勝を果たし、天皇杯への切符をつかんだ。

同期が引退試合を終えた後も、黙々と練習に励んだ米川。「中1の時は本当に弱くて、でも最後に全日本の舞台に立てた。最後までやり切ってくれた」(永井基生主将・営4=八千代松陰)。引退試合は0-5の判定負けながら「ここで終わるんだなって、本当にすがすがしかった」(米川)と悔いはない。6分間休むことなく、動き続けることが求められるレスリング。競技の特性通り、10年間最後まで戦い抜いたからこそ出る言葉だった。

・写真/明大スポーツ新聞部 谷山美海さん(文学部3年)

※ページの内容や掲載者のプロフィールなどは、『明治大学広報』第724号(2019年2月1日発行)発行当時のものです

※ページの内容や掲載者のプロフィールなどは、記事公開当時のものです

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