目で見る明治大学の歩み
2024.04.04
明治大学は女性法曹養成のパイオニア
1940(昭和15)年に誕生した日本初の女性弁護士、久米愛・中田正子・三淵嘉子の3名は、いずれも本学出身です。この快挙の背景には、本学がいち早く女性が法学を学べる環境と高等文官試験受験の機会を準備したこと、また法曹を志す女子学生たちの類まれな努力があったことを指摘できます。今回は、女性法曹養成のパイオニアとしての本学と、三淵嘉子の略歴を紹介します。
明治大学史資料センター 阿部 裕樹
1929年
専門部女子部設置
女子部校舎(1930年代)
専門部女子部は1929(昭和4)年に設置され、校舎は新築されました(敷地は現在の猿楽町校舎の一部)。

1931年
女子部卒業生の学部入学許可
女子部卒業生の学部入学認可を伝える「駿台新報」(1931年4月)
学部に入学した女子学生は、現在の司法試験にあたる高等文官試験司法科試験を受験できるようになりました。

1938年
高等文官試験合格
久米愛・三淵嘉子の高等文官試験司法科試験の筆記試験合格を伝える「駿台新報」(1938年9月)
中田正子は前年の試験で筆記試験を合格しており、3名はこの後実施の口述試験にも合格しました。

1950年
短期大学発足
短期大学校舎(1960年ごろ)
女子部は、1944( 昭和19)年に明治女子専門学校に改組され、さらに1950(昭和25)年には明治大学短期大学に生まれ変わりました(2006年閉学)。写真の校舎は1942(昭和17)年に竣工した当時の女子部校舎を継承しました(敷地は現在のアカデミーコモンの一部)。


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こちらの記事は広報誌『明治』第100号(2024年1月発行)からの転載です
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