就職・キャリア
プロフィール

柴田章吾さん(2012年文学部文学科卒業)
愛工大名電高校時代に甲子園に出場、明治大学では体育会硬式野球部(投手/左投左打)に所属。
大学卒業後は、読売ジャイアンツに育成3位指名で入団、プロ野球選手となる。引退後は、読売ジャイアンツ 球団職員を1年経験した後、元プロ野球選手として異例となる大手外資コンサル会社、アクセンチュアに転職。ITコンサルタントとして3年半従事した後、2019年に起業。No border株式会社の代表取締役となる。
現在はシンガポール在住。3社の代表を務め、「アジアで甲子園を開催する」という自身の経験を活かした取り組みも行っている。
現在の活動について教えてください。
難病ベーチェット病初の元プロ野球選手という野球一筋のキャリアを離れ、現在は起業家として活動しています。日テレ系列の「24時間テレビ」や、「衝撃のアノ人に会ってみた」にて、難病を克服して甲子園に出場し、プロ野球選手となり、外資コンサル・アクセンチュアへの異例の転身について取り上げられたこともありました。
現在は、コンサルティング事業、PR事業(イベント企画・キャスティング)をメインに収益化を行いつつ、アジアを中心とした野球振興活動を行うため、シンガポール、インドネシア、フィリピン等アジア圏を中心に飛び回っております。
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アジア野球教室の実施風景 -
フィリピンで設立した野球アカデミー
現在の仕事を選んだキッカケはなんですか?
小さな頃から生活のすべてを野球に捧げてきましたが、中学3年時に難病を発症し、「そう遠くない将来、プレーヤーとして第一線を離れる日が来る」という想いが頭の片隅にありました。そんな中、セカンドキャリアとして選んだアクセンチュアで社会人経験とビジネススキルの習得を行う過程で、「ビジネス×野球という両軸でワクワクした生き方はできないか?そんな会社はあるのか?」と模索した結果、自分で創るしかないという結論に至り、起業を決意しました。

在学生へのメッセージをお願いします。
明治大学の理念である、“権利自由、独立自治 「個」を強くする“という考えは、僕の礎になっています。
甲子園のスターが数多く在籍する体育会野球部で生き残るには、「個」を強くする必要がありましたし、どのようにしたら希有な存在になれるか、ということを日々考え、行動してきた自負があります。
また、明治大学には様々なバックグラウンドを持った魅力的な学生が多く在籍しています。野球部以外の友人と過ごす時間をあえて作ったことで、様々な感受性が育まれた貴重な機会を得ました。同じ部活の仲間、仲の良い限られた友達と過ごすことももちろん大切ですが、どうかこの恵まれた環境にいる間に、個性溢れる様々な友人を沢山作ってください。ここ明治大学で過ごした時間は、間違いなく僕の人生の宝物になっています。

プロフィールやインタビューの内容については、取材時点のものとなります。
プロフィール

森美咲さん(2016年度法学部法律学科卒業)
東京都私立富士見丘高等学校時代に、インターハイ団体戦で1年生から出場し3連覇を達成。明治大学では体育会硬式庭球部に所属。入学当時、明治大学体育会硬式庭球部(女子)は、関東リーグの三部校であったが、4年生のときに主将を務め、創部初の一部昇格を果たす。
大学卒業後は、明治安田生命保険相互会社に就職。実業団チームに所属し、主将を務めた年にはテニス部史上初の日本リーグ準優勝を達成。
引退後は東京を離れ、現在は同社の福岡の部署でOLとして働く。
どのような学生時代でしたか?
「学業とスポーツの両立」が大学の方針であるため、部活動以外の時間は一般学生に混ざって授業を受講し、単位取得のため日々勉強にも励んでいました。同じ学部に配置されていた他競技の全国トップクラスのアスリートと交流する機会も増え、様々な考え方や価値観に触れることができました。
“全員で卒業”と誓って一致団結していた仲間と授業で顔を合わせることが大学生活の中での一つの楽しみでもありました。今でも連絡を取り合ったり、お互いの結婚式に招待するなど、一生の友もできました。
また、硬式庭球部は、「社会で通用する人材育成をすること」をテーマとしており、指導者が少ない中でも、学生自らが練習メニューやトレーニングを考え、行動し、結果を出してきました。特に創部100年以上の歴史を持つ男子部とは違い、創部10年と非常に歴史の浅かった女子部は部員数も当時8名でしたが、一人ひとりが自身の役割を理解し、組織の基盤づくりに徹しました。
そのような経験が社会に出てからも活かされており、自分という人間を育ててくださった監督を始めとするOB/OGの方々や先輩・同期・後輩には感謝しかありません。
大学卒業後のお仕事を教えてください。
正直なところ、これまですべてを犠牲にしてテニスだけに捧げてきた人生であったため、卒業後のやりたい仕事や目標、将来像が漠然としていました。ただ、自分の強みは、“周囲からの期待に必ず応えたい”という責任感が人一倍強いこと、またコミュニケーション能力であるとしていたため、人間力が問われ、社会的使命を兼ね備えた無形商材を扱う金融業界を視野に入れていました。そんなときに明治安田生命のテニス部監督から「実業団で一緒に戦わないか」とお声がけいただき、これまでテニスを続けてきた有難いご縁だと思い、入社する決意をしました。
入社後は法人営業部に配属され、現在に至るまでの7年間、官公庁へ福利厚生制度としての団体保険の導入・販売を行ってきました。県庁や市町村役場・学校・警察署・消防署を訪問し、説明会の開催や一人ひとりのお客さまに対面でお会いし、日々営業活動を行っています。県外への出張を伴うことも多々あり、多いときは1か月のうち3週間自宅を離れています。実業団選手としての現役時代は、土日に泊りがけでテニス部の活動があり、学生時代の遠征を思い出させる日々を過ごしていました。
体育会の後輩へアドバイスをお願いします。
“全力で競技に打ち込める今この時間を大切にしてほしい”
私は社会人4年目となる年に残り1年間で引退することを決意しましたが、突然のコロナウイルスの流行のため、引退試合となる大会が中止になり、競技人生が終わりました。自分の選手生活がこのような結末になることは想像もしていませんでした。今でも自分に対して“後悔残すことなく最後まで全力でプレーできていたのか”と問うことがあります。アスリートにとって引退はいつか必ず訪れるものですが、競技や相手、何より自分自身と真剣に向きって何かに打ち込むことができるのは、プロ選手を除けば間違いなく学生までです。今の置かれた場所・環境で咲くことができるよう、この瞬間をぜひ大切にして欲しいと思います!

プロフィールやインタビューの内容については、取材時点のものとなります。
プロフィール

橋本南美さん(2012年度政治経済学部経済学科卒業)
合同会社PUISTO代表として社会人女子ラクロスチームNeOの運営に携わる。明治でラクロスと出会い、その可能性に魅了され卒業後NeOを設立。選手として2019年までプレーし、その後ラクロス界の課題を感じ、8年間勤務した武田薬品を退社しPUISTOを設立。現在はチーム強化や普及活動を支え、明治でのアシスタントコーチ経験(2013-2017)を活かして、他大学やクラブチームの指導にも携わり、幅広い世代の育成に尽力している。
学生時代の思い出を教えてください。
私の学生時代の思い出は、3年次に明治女子ラクロス部が史上初めて「関東学生リーグベスト4」に進出したことです。
私たちが入学した2009年は、1部リーグに昇格したばかりでブロック最下位という厳しい状況でした。さらに、4年生の引退や3年生の就職活動の影響で、春練習の時期には練習試合に10人しかおらず、交代なしで戦うのが当たり前でした。そこで、新歓活動を強化し、1学年20人以上の部員を確保。勝つために何が必要かをコーチや選手全員で考え、ひたすら練習に励みました。その結果、リーグ戦ではこれまで勝てなかった強豪校に勝利し、ベスト4の切符を手にした瞬間は本当に嬉しかったです。ベスト4の試合では大敗を喫しましたが、この経験が翌年の関東学生リーグ準優勝へとつながる大きな一歩になったと考えています。
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3年次(2011)ベスト4が決まった瞬間(掲げていた目標を達成できた時は、想像の何倍も嬉しかったです。) -
4年次(2012)リーグ戦集合写真(1年生は30人程度入部し、100人近い規模になりました。)
部活と授業の両立は大変でしたか?
部活と授業の両立は比較的しやすい環境でした。ラクロス部の練習は朝7時から行われるため、授業時間と重ならず、学業にも集中しやすかったです。授業がない時間には、ラクロス部の仲間と自主練をしたり、ビデオミーティングを行ったりして、常にラクロスに向き合う日々を過ごしていました。その一方で、朝練の影響で午後の授業では眠くなることもあり、体力的に厳しい場面もありました。しかし、その経験を通じて時間管理の重要性を学び、限られた時間の中で効率よく学習する力が身につきました。忙しいながらも充実した学生生活を送ることができ、大きな成長につながったと感じています。
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3年次(2011)プレー写真(手前ボールを持っているのが私です。) -
ラクロスの楽しさと上達の仕方をたくさん教えてくれたコーチ、同期との写真(コーチや先輩、後輩、同期など、さまざまな人と自主練で出来るようになるまでとにかく練習したので感謝の気持ちでいっぱいです。)
大学卒業後の活動や今後のプランについて教えてください。
大学卒業後、製薬会社に入社し営業として働きながら、立ち上げたチームNeOでプレーを続けました。日本一を達成した際、ラクロスの認知度の低さから、その価値が他のスポーツに比べて小さいことを痛感。そこで、NeOの運営母体として合同会社PUISTOを設立し、スポンサー企業の開拓や普及活動を進めています。
私は大学でラクロスと出会い、競技や仲間を通じて自身の可能性が広がったと感じています。だからこそ、ラクロスを通じて自立した個人や組織が育ち、新たな挑戦をする人が増える環境を作りたいと考えています。2028年の五輪を見据え、競技環境の整備や社会課題の解決にも貢献していきます。
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2018年NeO初めての日本一の瞬間 -
2022年に明治大学政治経済学部食料経済学ゼミで講演させていただきました(在学中に所属していたゼミで、大学4年間を通じて夢中になれることを見つける重要性についてお話しさせていただきました。)
プロフィールやインタビューの内容については、取材時点のものとなります。
明治大学体育会は、スポーツ特別入試入学者(スポーツ推薦)であっても、一般の学生と一緒に文系・理系の各学部で学びます。
また、大学全体の方針として、「学業とスポーツの両立」を掲げており、アスリートであるだけでなく、一般の大学生としても学生生活を過ごすよう、各部において成績や生活指導を行っています。
このようなことから、卒業後もプロや実業団などで、引き続きスポーツ選手として活躍するだけでなく、様々な分野に就職し、日本や世界などそれぞれのフィールドで戦っています。
体育会所属学生の主な就職先(2023年3月卒業生)
運輸業、郵便業
東急(株)
東日本旅客鉄道(株)
日本貨物鉄道(株)
日本交通(株)
日本航空(株)
中日本高速道路(株)
卸売業、小売業
丸紅(株)
三菱商事(株)
双日(株)
豊田通商(株)
オンワード商事(株)
アサヒグループ食品(株)
JFE商事(株)
(株)モンベル
(株)ローソン
日本空港ビルデング(株)
(株)あきんどスシロー
(株)ツルハ
(株)ニトリ
アマゾンジャパン(同)
学術研究、専門・技術サービス業
国立研究開発法人産業技術総合研究所
(株)ベイカレント・コンサルティング
(株)リンクアンドモチベーション
(株)日本M&Aセンター
ソニーミュージックグループ
西村あさひ法律事務所
(株)博報堂
レバレジーズ(株)
(一財)関東電気保安協会
教育、学習支援業
(学)明治大学
沖縄県教育委員会
埼玉県教育委員会
兵庫県教育委員会
(株)ベネッセコーポレーション
金融業、保険業
(株)京葉銀行
(株)三井住友銀行
(株)三菱UFJ銀行
みずほフィナンシャルグループ
りそなグループ
三井住友信託銀行(株)
日本銀行
(株)ジェーシービー
(株)日本政策金融公庫
(独)国際協力機構
野村證券(株)
あいおいニッセイ同和損害保険(株)
三井住友海上火災保険(株)
住友生命保険(相)
東京海上日動火災保険(株)
日本生命保険(相)
明治安田生命保険(相)
建設業
(株)大林組
(株)竹中工務店
戸田建設(株)
鹿島建設(株)
清水建設(株)
積水ハウス(株)
(株)関電工
公務
国家公務員(総合職)
財務専門官
防衛省 海上自衛隊
警視庁
千葉県庁
東京消防庁
東京都庁
東京特別区
福岡県警察本部
情報通信業
(株)NTTドコモ
KDDI(株)
日本放送協会
(株)エヌ・ティ・ティ・データ
ANAシステムズ(株)
UUUM(株)
日本アイ・ビー・エム(株)
(株)USEN-NEXT HOLDINGS
ヤフー(株)
楽天グループ(株)
(株)産業経済新聞社
(株)日本経済新聞社
生活関連サービス業、娯楽業
(株)京都パープルサンガ
(株)中日ドラゴンズ
(株)東京ドーム
(株)宝塚舞台
横浜マリノス(株)
吉本興業ホールディングス(株)
卸売業、小売業
(株)明治
ハウス食品(株)
東洋水産(株)
日清製粉(株)
日本ハム(株)
(株)伊藤園
日本たばこ産業(株)
大日本印刷(株)
積水化学工業(株)
ENEOS(株)
出光興産(株)
(株)クボタ
(株)リコー
キヤノン(株)
コニカミノルタ(株)
古河機械金属(株)
(株)キーエンス
(株)東芝
(株)日立製作所
パナソニック(株)
富士通(株)
三菱自動車工業(株)
本田技研工業(株)
コクヨ(株)
製造業
東急(株)
東日本旅客鉄道(株)
日本貨物鉄道(株)
日本交通(株)
日本航空(株)
中日本高速道路(株)
不動産業、物品賃貸業
三井住友トラスト不動産(株)
住友不動産販売(株)
野村不動産(株)
イオンモール(株)
三井不動産(株)
森ビル(株)
オリックス(株)
サービス業、その他
(株)リクルート
(株)WOWOWコミュニケーションズ
宿泊業、飲食サービス業
(株)ホテル小田急
(株)すかいらーくホールディングス