明治大学法学部教授、大学史資料センター所長/図書館長 村上 一博
お茶の水橋から明治大学リバティタワーを望む
『虎に翼』が終わってしまいました。クランクアップは8月31日で、ドラマに出演した俳優さんたち、制作スタッフのほとんどがスタジオに駆けつけて、最後の撮影を終えた伊藤沙莉さんを囲み 労 いました。ほぼ1年に及ぶ撮影がすべて終わったのでした。私も参加していたのですが、感動的な時間でした。
『虎に翼』最後の法廷は、尊属殺重罰規定について違憲判決が下されたシーンでした。最高裁大法廷が再現されたのです。今回のドラマを通して、法廷は、NHKのスタジオ内で5度作られたことになります。いずれの法廷も、実際の法廷や写真資料などを調べて設計図面をつくり、照明器具など細部にまでこだわって作られました。控室で、責任者の方から法廷セットを作るにあたってのご苦労話を何度かうかがう機会があり、その周到な準備に驚き敬服しました。台本が遅れたため、最後の最高裁大法廷のセットで、壁画が描けなかったのが心残りです。
さて、1973(昭和48)年4月、長年にわたって非人道的な虐待をされてきた父親を殺害したことで、尊属殺の罪に問われた被告人:斧ヶ岳美位子(石橋菜津美さん)事件の判決日がやってきました。桂場裁判長によって言い渡された判決は、「被告人を懲役2年6月に処する。この裁判確定の日から3年間、右刑の執行を猶予する……尊属殺に関する刑法200条は、普通殺に関する刑法199条の法定刑に比べ著しく差別的であり、憲法14条1項に違反して無効である。この見解に反する従来の判例はこれを変更する」という内容でした。1950(昭和25)年の尊属殺および尊属致死傷の重罰規定を合憲とした判決から23年、刑法の尊属殺重罰規定は憲法違反であるという画期的判決が下されたのでした。桂場は、恩師の穂高先生の遺志を継いで、ついに従来の判例を変更し、そして退官したのでした。
というのがドラマの筋立てですが、判決文を全部読めば、最高裁長官(桂場)が、穂高イズムを実現したのではないことが分かります。穂高が(そして、轟とよねも)主張したのは、刑法200条の尊属殺重罰規定が、子(卑属)が父(尊属)を殺害するという不道徳行為を刑法が規定していること自体の違憲性(憲法第14条1項違反)だったのですが……。
実際の判決は、「尊属に対する尊重報恩は、社会生活上の基本的道義というべく、このような自然的情愛ないし普遍的倫理の維持は、刑法上の保護に値する……自己または配偶者の直系尊属を殺害するがごとき行為は……人倫の大本に反し、かかる行為をあえてした者の背倫理性は特に重い非難に値する……尊属の殺害は通常の殺人に比して一般に高度の社会的非難を受けて然るべきであるとして、このことをその処罰に反映させても、あながち不合理であるとはいえない」と述べて、親に対する子の道徳規範を刑法に反映させ、尊属殺を重罰とすること自体は肯定しているのです。
しかし、刑法200条は、その法定刑が死刑および無期懲役刑のみで、普通殺人罪に関する刑法199条の法定刑(死刑・無期または3年以上の懲役)に比べて、著しく不合理で差別的な取扱いであること、すなわち、尊属殺で有罪になった場合には、現行法上許される2回の減軽を行っても処断刑の下限が懲役3年6月を下回ることがなく、たとえどのような酌量すべき情状があっても、刑の執行を猶予することができない(執行猶予ができるのは3年以下の懲役刑)から、憲法14条1項に違反して無効であると言っているのです。
実際の判決では、最高裁判事中でもっともリベラルな田中二郎裁判官が、「尊属殺人に関する特別の規定を設けることは、一種の身分道徳の見地……旧家族制度的倫理観に立脚するものであって、個人の尊厳と人格価値の平等を基本的な立脚点とする民主主義の理念と抵触する」と、穂高先生と同趣旨の少数意見を述べていた(2名の裁判官が同調、ほかに3名から同趣旨の意見あり)のですが、石田和外長官を含む9名の多数意見によって、退けられたのでした(ちなみに、1名は刑法200条を合憲としています)。
桂場は、最後まで、穂高イズムを実行できなかったということになるのです。
私の振り返りコメントも、今回が最後です。私の独りよがりなコメントをお読みいただいたことに厚くお礼を申し上げます。猪爪寅子(三淵嘉子)のドラマは終わりましたが、現実社会における「寅子」(皆さん)の奮闘は、これからも続きますね。穂高先生に倣って、私も「出涸らし」としての「寅子」の奮闘を少しでも寄り添って腰押しする役割を果たしていきたいと思っています。
ありがとうございました。俳優さんたちの合言葉を私も……さよ-なら、またいつか。
<補足>
『虎に翼』の放映は終わりましたが、明治大学博物館の展示は10月28日(月)まで継続します。ぜひ、足をお運びください。