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2025.06.20

自分らしく、社会問題を解決するビジネスを|辻井采々良さん

経営学部国際交流社会連携SDGsMeijing

経営学部で公共経営とビジネスを学びながら、世界の貧困に向き合う活動や、震災のあった地元・石川県の復興ボランティアに取り組み、ミス・ワールド・ジャパンの準グランプリにも輝いた辻井采々良さん。社会問題に関心を持った理由や、高校時代から続けるボランティア活動への思い、それらが経営学部の学びとどのようにクロスしているのか聞きました。

明治大学での学生生活を紹介してくれた方辻井采々良さん(経営学部 公共経営学科4年・石川県出身)

辻井さんのMeijingは「誰かが前に進むきっかけ(刺激)になりたい」という思いを込めた “Spark” ing

明治大学は自分らしく挑戦できそうな場所

明治大学に進学を決めた理由を教えてください。

明治大学の理念が「『個』を強くする大学」ということを知り、明治大学は自分らしく挑戦できる場所なのではないかと思いました。実際にキャンパスを訪れたとき、活気に満ち溢れたイメージがあり、さまざまな分野で活躍する人が多いことにも魅力を感じました。雰囲気やアクセスの良さも含めて「情報の集まる最先端」という感じがしましたね。

「前へ」踏み出す勇気をくれた、経営学部の授業

印象に残っている授業はなんでしょうか?

3年次に受講した「ベンチャービジネス論」です。

ベンチャー企業が新たな価値を生み出し、社会に変化を起こす姿に強く引かれました。この授業を通して企業の「大きさ」ではなく「社会にどんな役割を果たしているか」にも目を向けることができるようになりました。また、自分自身も社会に新たな問いを立て、その答えを「事業」というかたちで示すような挑戦をしてみたいと強く思うようになりました。

授業では、明治大学を卒業した起業家の方が講師に来てくださる機会もあり、中でも、「トイサブ!」というおもちゃのサブスクリプションサービスを展開している会社の代表・志田典道さんの回は印象に残っています。授業後にも感動が残っており、勇気を出して「もう少しお話を聞かせてください!」と言いに行ったんです。自分が当時取り組んでいた海外の子どもたちに向けたボランティアの話や、自分の夢への思いをお話ししました。志田さんからもビジネスに関するアンテナの張り方などをお伺いすることができました。

自ら積極的に行動するのは苦手だったのですが、この時は自分から話しかける勇気が湧き上がってきて、一歩前へ踏み出して人生を切り拓くことができた瞬間でした。

今年度は全学共通総合講座「明治起業家学」という授業を履修しています。明治大学は起業家育成にも力を入れており、同年代の学生の中には実際に会社を立ち上げている人もいます。そこでの学びがとても楽しみです!

元々積極的な性格ではなかったと伺いました。どのような性格だったのですか?

中学生の時も、アイドルグループに所属して石川県の魅力を全国に発信するなど、さまざまな活動をしていたのですが、前に出る性格ではなく、課外活動を頑張っていた一方で、学校内でのコミュニケーションの取り方がうまくいかなかったことがあったりして、自分が手を挙げて何か行動するということに苦手意識がありました。プライベートでもあまり外に出ないタイプで、いろいろな話を聞いても「すごーい」って遠くから見ているタイプです(笑)。

東京に来て、さまざまな活躍をされている人たちを目の当たりにして刺激を受けました。大学生だからこそ、何者でもない自分にも知識を与えてくれる人がいる、助けてくれる人がいるということも分かり、そのような環境の中で性格や考え方も変わりました。

高校生の時、世界の貧困問題を知り、向き合いたいと思った

社会問題に関心を持ったきっかけはなんでしょうか?

高校の授業で、アフリカの子どもたちが頭に重いバケツを乗せて水をくみに家との間を何往復もしている動画を見たんです。そのときにクラスメートから出た言葉は「日本に生まれて良かった」――。その言葉には、誰しもが一瞬感じてしまうような率直な本音が込められていたと思います。私自身も正直共感する部分がある一方で、同時に「この現実に向き合ってみたい」と思いました。

ちょうどコロナ禍で、時間はたくさんあったので、ボランティア団体を自分で探して、カンボジアの子どもたちに日本語を教える活動をしました。「ささら先生」と親しみをもって接してくれ、将来の夢を話してくれる子どもたちの姿はとても輝いていて、私はその環境がずっと続いてほしいと心から思いました。そこから私の海外ボランティア活動は始まり、大学ではフィリピンのスラムに住む子どもたちと関わる活動を続けました。

子どもたちに日本語を教える際使っていた思い出のネームプレート

フィリピンでのボランティアで心に残っていることを教えてください。

フィリピンでは、「東洋最大のスラム街」と呼ばれるトンド地区にも足を運びました。道に広がるゴミの山、街のにおいも強烈でした。目にするもの全てが衝撃的で、言葉にならない気持ちに何度も胸を締め付けられました。

ボランティアの取組みでは、貧困地域に暮らす子どもたちがモデルとなるファッションショーを企画・開催しました。そのときに出会った子のことは今も忘れられません。

その子は心と体の性にギャップを感じている子でした。子どもたち自身がデザインした服を着てもらうのですが、その子は胸元に大きなハートがあしらわれたフリフリのとてもかわいい衣装をデザインしてきてくれたんです。堂々とランウェイを歩いてくれました。ショーの後、その子が涙を流しているのを見つけて、「どうしたの?」と聞いたんです。すると「みんなに本当の自分を受け入れてもらえた気がしてすごくうれしかった。ありがとう」とまっすぐに伝えてくれました。また、「育った環境が、なりたい自分を諦める理由にはならないんだね」「私もステージに立つことができるんだね」と伝えてくれた子もいます。

覚悟を持って「なりたい自分」を表現してくれたことも、その想いを自分の言葉でまっすぐに伝えることも、決して簡単なことではないので、伝えてくれたその姿がとても心に残っています。

ボランティア活動での現地の子どもたちと辻井さん

震災のあった地元への思いを胸に、ミス・ワールドにも挑戦

ミス・ワールドの活動について教えてください。

能登半島地震の後、地元・石川県に通いボランティア活動をしている中で、「石川県を元気にする活動をしませんか?」という言葉で募集されているのを見て、関心を持ちました。この大会は、外見だけでなく知性や人間性、多様な文化への理解を重視していて、美の力で社会貢献・人道支援を目指すという理念があるコンテストでした。これまでのボランティア経験を通して感じた能登の方々の思いや現状、そして世界の貧困問題を少しでも多くの人に伝えたいという思いから参加を決めました。

活動中に意識していたことはなんでしょうか?

発信の場をいただけたからこそ、言葉には特にこだわりました。

例えば、「寄り添う」という言葉は使いませんでした。私が能登のボランティア先で「寄り添う」という言葉を使ったときに、ほかの支援者の方から「『寄り添う』の形ってなんだろうね」と言われたんです。「表に立って発信する立場である以上、言葉にしたことは必ず実行しなければいけない。表面的なことを言ってはいけない。」と思いました。能登の思いや世界の貧困問題を伝えるという目的の軸をぶらさずに自分の声で届ける、ということは大切にしていました。

届けた言葉が相手の表情や反応に表れたとき、少しでも自分の想いが伝わった気がして本当にうれしかったです。

将来のビジョンについて教えてください。

自分が頑張ることで、誰かが前に一歩踏み出す勇気を与えられる人になりたいと思っています。

一方、経営学部では営利と非営利をどう成り立たせるかといったことについても学びました。「ボランティアをしたい」という思いだけでは、子どもたちと向き合い続けられる状況を作れるとは限らないということも痛感しました。

だからこそ、自分がしっかりとした基盤を持ち、そこでさまざまな人を巻き込んで、誰かにきっかけを届けたり、夢を支える人になりたいです。

経営学部は「思い」を「ビジネス」にするための学びの場!

最後に、高校生の皆さんにメッセージをお願いします!

経営学部は「誰かの役に立ちたい」「社会課題を解決したい」という思いを、「ビジネス」という手段でかたちにしていくための学びの場だと思います。私も、大学での出会いや経験を通じて「経営」は人や社会の未来を作る力になると実感しました。私の好きな言葉に、「未来は現在の自分からのプレゼント」という言葉があります。皆さんがいま頑張っていることは、きっと未来の自分にすてきなご縁や挑戦を引き寄せてくれるはずです。心から応援しています!

Meijing――自分だけの「個」をみつけて「前へ」 進み続ける明大生を応援するプロジェクト

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