「学」を継ぎ、つなげること(法学部長 長坂純)
いわゆる「研究者教授」は(近時は「実務家教授」もいるようであるが)、一人前の研究者になることを目指してきたはずである。
40年以上前、大学院生だった頃のある一場面を思い出す。それは、現・中央図書館(創立120周年記念事業で開館した)の前(現・研究棟。創立100周年記念事業で開館した)のさらに前、旧短大の場所にあった図書館での、些細な出来事である。
ある日、私は、民法のとある条文(413条〔受領遅滞〕であったはず)に関して古い教科書の解説を次々と調べていた。その中の一冊(大正期か昭和初期の出版)の該当ページを開いた時、鮮明な藍色のインクで文字がなぞられており、さらに同じインクで書かれたメモ書きが添えられているのも見つけた。同条に関わる見解を書いたきれいな文字と鮮明なインクの色が強く印象に残っている。
その書の奥付には、寄贈者のお名前(Mさん)と年月日が記されていた。その時、私は、Mさんは何らかの事情で本書を図書館に寄贈され(卒業して帰郷されたか、あるいは学徒出陣だったか)、既にご存命ではないのではと思い、なぜか悲しくなり立ちすくんだ。
歳を重ねた今でも、なぜこの些細な出来事をよく思い出すのであろうか。その条文(民法413条)に関しては、その後これまで詳細に研究する機会はなかったが、当時は、その解釈に関して迷い悩んでおり、困ってさまざまな解説を読みあさっていたことは確かである。
そのような中でMさんに出会い、Mさんが書いたインクとメモに接した。Mさんも、かつて当該条文に関して熟考されておられたはずである。私は、Mさんという同朋に出会った気がしていたのかもしれない。おそらく当時、Mさん(先輩)と私(後輩)は、(時空を超越して)確かにつながっていたのだと思う。
大学は、単にモノを売ったり、貸したり、造ったりする場ではない。われわれは、モラトリアム人間である学生に寄り添い、学生の将来を期待して模索し続けている。また、先人による成果を踏まえ、さらなる解決の方向性を目指して研究活動を続けている。私は、研究をしたくて大学という場に立ち入ったはずであるが、研究は教育と峻別できるものではないことも知った。学生からは、いつも刺激と勇気をもらっている。
つまり、「学」(学問、学び)は、先人から受け継ぎ、さらに次世代につなげていくものであると。この歳になって改めて実感している。
「青は藍より出でて藍より青し」である。
明治大学広報第798号(2025年6月1日発行)掲載