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論壇
2025.09.01

失われた予言(文学部長 田母神顯二郎)

ドラッカーと言えば「経営の神様」として今でも有名だが、文学畑をまい進してきた私には、長い間ほとんど無縁の存在だった。それが変わったのは、5年前に大学院の文学研究科長、次いで2年前から文学部長を務めるようになってからだ。今やドラッカーは、数々の教えを授けてくれる私の師となっている。

特に私が感じ入っているのは、「組織の目的は、問題をなくすことではなく、機会を作ることである」という言葉である。実際には、山積する課題の解決に多くの時間が費やされているが、そうした中でも、どうすれば個々の能力が存分に発揮され、組織の活性化につながっていくのか、あるいはどうすれば「問題」そのものを組織改良の「機会」に変えていけるのかといったことを、私は常に忘れないようにしている。

ところで大の親日家でもあるドラッカーは、『ポスト資本主義社会』の日本語版まえがきで、次のように書いている。「日本と同程度の大学進学率をもつ国はアメリカしかない。(中略)しかし同時に、他のいろいろな面で、日本は新しく生じてきたニーズに応える体制になっていない。例えば教育の分野では、高学歴者のための継続学習機関として大学を発展させる必要が十分認識されていない。日本の高等教育は、いまだに成人前かつ就職前の若者の教育に限定されている。そのような体制は二一世紀のものではない。一九世紀のものである」。

この本が刊行されたのは1993年のことである。それから30年余りがたって、いまだ日本ではリカレント教育が定着していないし、21世紀に入って他の先進国が大学院政策と先端研究にこぞって力を入れる中、ただ日本だけが「ガラケー」よろしく、学部中心の教育体制を守り続け、今や「低学歴国」のレッテルを頂戴するまでになっている。しかも進学率はもちろんのこと、大学院の社会的認知度が極度に低い日本では、そうしたことさえまともに論じられてはいないのである。これでは「失われた30年」も当然の結果だと言えるだろう。

とはいえ世界の情勢は、絶えず変化する。MATANA(Microsoft、Apple、Tesla、Alphabet、NVIDIA、Amazon)など、ドラッカーが唱える「知識社会」の要件を満たしたビッグテックの発展で、経済大国に返り咲いたはずのアメリカが、ひとりの大統領によって、自壊の道をたどり始めている。もしかすると、次に「失われた30年」を味わう羽目になるのは、アメリカの番かもしれない。

明治大学広報第801号(2025年9月1日発行)掲載