商学教育に対する一経済学研究者の雑感(商学部長 高浜光信)
「サッカーの試合はなぜ雨天でもやるのか?」という問いに対して、インターネット上では、「サッカーの発祥国であるイギリスは紳士の国であり、雨天でも約束をたがえず試合を行うことが紳士のたしなみなのだ」といった文化的な説明が見られることがある。一方、同じ問いに対して、経済学者である村上泰亮氏は、著書の中で「それは単にイギリスは雨の多い国だからだ」という回答を提示している。つまり、雨天中止などしていたら試合ができないということである。
一連の問答が示すように、経済学者は、安易に文化や習慣の違いに訴える議論を嫌う。つまり、主体の特殊性を排除したがる傾向がある。どのような人間でも、快楽や苦痛の対象はそんなに変わらないはずというのが、経済学における人間像である。
このような経済学者の思考方法は、しばしば「通念」を破壊して、人をイライラさせる。例えば、「織田信長は偉大だったのか?」という問いに対して、普通の人は、「偉大に決まっている!」と答えるであろう。しかし、経済学者は、「尾張という商業地に位置していたことが重要。武田信玄と違って一年中戦える軍隊を保有しやすかったことが要因では?」、さらに「並より少しの知能があれば、結構誰でも天下を取れたのでは?」と言い放つだろう。
同様に「松下幸之助は優れた起業家だったのか?」という問いがある。これに対して「努力すれば報われるということを地で行った人」と応じる人は多いだろう。松下幸之助自身は語録の中で、「90%は運命(すなわち運)や」と答えている。
経済学者は恐ろしいもので、才能と運に関する研究は数々存在する。たとえば、プルチーノらは、2018年の研究で、才能がある人が成功するとは限らず、中程度の才能を持つ人が偶然の機会を得ることで、大きな成功を収める傾向があることを示している。同様の議論は、社会学においては「マタイ効果」(由来は新約聖書、マタイによる福音書)と呼ばれ、「成功の連鎖」と「不平等の連鎖」を説明する原理とされている。
スタートアップの成功確率は非常に低いが、成功した起業家は「戦略や努力」で成功したと語るケースが多い。しかし、成功は「事後の論拠」として語られるもので、実際には運の寄与が圧倒的に大きいという、ある意味、商学教育にとっては身もふたもない結論になるのである。
ただ、松下幸之助は、「ということは残りの10%が人間にとっては大切。いわば、自分に与えられた人生を、自分なりに完成させるか、させないかという、大事な要素なんや」とも述べている。10%が何かについて的確に答えるのは、経済学者の思考方法からして難しすぎる課題なのかもしれない。
明治大学広報第799号(2025年7月1日発行)掲載