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相談室の窓から
2025.10.07

「はじめての坐禅」―― 学生の居場所の一つとして(農学部 専任准教授 狩野晃一)

学生相談室相談員 農学部 専任准教授 狩野晃一

生田キャンパス学生相談室の相談員として、2期目を迎えた。この間、入学ガイダンスでの相談室の紹介、種々の相談内容を含む学生対応、そして1年目の途中から、ほぼ毎月開催の「はじめての坐禅」を行ってきた。

相談室で催しものとして何かできないかと考えていたことが、坐禅会を開くきっかけであったと記憶している。毎回10人前後の学生が、生田キャンパスからだけでなく、他キャンパスからも少なからず参加してくれ、2025年7月現在で17回を数える。理系の学生の参加が比較的多いのは興味深く、繰り返し参加してくれる学生も、ちらほら見える。

ほとんどが坐禅をしたことのない学生であるので、はじめに坐り方を伝え、10〜15分ほど坐ってもらい、次にもう一度、形と息を整えて15分から20分程度坐って終了となる。多くの参加者が椅子の生活に慣れ、床に座ったり、あぐらをかいたりすることが少ないようで、従って、股関節は硬く、スマホやPC作業のせいか背中は丸まりがちだ。これだと内臓に負担がかかり、呼吸は浅くなり、酸素が脳や体内に行き渡らない。「姿勢を良く」というのは故のないことではないのだ。

人間の日々の活動は切なくなるほど、せわしない。エネルギーのみなぎっている学生時代は、特にそうだろう。勉学、サークル、アルバイト、交友関係と休む間などない。そういった忙しい学生たちが、わざわざ時間を作って坐禅をしてみようとやってくる。

坐禅中は、面壁してもらう。私からは彼らの背中しか見えないが、背中は多くを語る。難なく足を組み、形良く坐る者、左右どちらかに傾き、体の一部が力んでしまってこわばり、いかにも苦しそうにしている者、一生懸命に集中しようとして呼吸が浅くなっている者など、さまざまだ。

日常から離れ、スマホや喧騒から離れ、手足を固定することで肉体的な自由を自ら奪い、一方で頭は自由な状態で、ある一定の時間を一つの場所で他の参禅者と共に過ごす。その過ごし方はおのおの異なれど、「いま・ここ」という再び返しえないものを共に体験する。

毎回、感想には、「頭がスッキリした」というものから、存在や禅定などを問う難解なものまで多様だ。坐禅は一つではなく、参加者それぞれの心に異なる形で刻まれていく。もちろんそれが、消え去ったとしても一向に構わない。学生たちが自分自身と向き合う場として、また学生たちにとっての居場所の一つとして、これからもこの坐禅会を続けていくことができたらと願っている。

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