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2025.04.18

生田キャンパス第二校舎2号館の記憶――明治大学と共に歩んだ建築の軌跡

理工学部

生田キャンパス第二校舎2号館は、新教育棟「センターフォレスト」誕生に伴い、2024年度をもって解体されることとなった(斜路棟含む)。解体に当たり、これまでの歴史と貢献を振り返る。

第二校舎2号館の建設の経緯

生田キャンパスに建つ「第二校舎2号館」は、1965年に竣工し、以後60年余りにわたって学生たちの学びの場として親しまれてきた。設計は、日本建築界の巨匠であり、明治大学工学部長を務めた堀口捨己である。

堀口は理工学部建築学科の創設者でもあり、同学科が目指す「自然環境と調和し、安全、安心で快適な建築及び諸環境を創造し、優れた知識やデザイン能力を有する専門職業人を育成する建築教育」の理念を、実際の建築に体現した人物である。

第二校舎2号館の建設は、当時拡大を続けていた工学部の教育環境を整備する一環として計画された。特に工学部の拠点として、学生たちが授業等に取り組むための空間が求められていたという時代背景がある。

堀口が設計したこの建物は、単なる「校舎」ではなく、建築教育のシンボルでもあった。堀口にとっては、自らが育ててきた学部と大学への贈り物のような存在だったのかもしれない。

第二校舎2号館の建物の特徴

第二校舎2号館は、機能性と造形美を見事に融合させたモダニズム建築の傑作である。外観は端正で落ち着いたたたずまいを見せつつも、細部には堀口建築ならではの美意識が息づいている。特に、窓の配置やひさしのデザインには、採光と通風を意識した工夫が凝らされている。

内部空間は、学びの場としての実用性を第一に考えつつ、学生たちの創造性を刺激するような開放感と柔らかさを持っている。大きな講義室は、天井が高く、自然光がたっぷりと差し込む設計が特徴。堀口の「建築は人の精神を育む器である」という信念が、この建物の至る所に反映されている。

また、鉄筋コンクリート構造でありながら、冷たさを感じさせないマテリアルの選定も印象的である。手すりや階段、扉の取っ手といった細部にまで意匠が施されており、建築教育を受ける学生たちにとって「学びの教材」としての側面も持ち合わせていた。

第二校舎2号館の歴史

第二校舎2号館は、長年にわたって理工学部講義科目の中心的な施設として利用されてきた。ここで学んだ数多くの学生たちは、現在、建築家やエンジニア、研究者等として国内外で活躍している。まさに、未来の建築を担う人材を育んだ「ゆりかご」と言えよう。

大人数の学生が授業を受ける姿が日常の風景であり、多くの思い出がこの空間に刻まれている。 また、建物そのものが「建築とは何か」を語りかけるような、静かな教師のような存在であった。

一方で、年月とともに老朽化が進行し、近年は耐震性やバリアフリー対応といった課題が顕在化していた。これにより、2024年度をもって第二校舎2号館はその役目を終え、解体されることが決定した。

第二校舎2号館から次の世代へ受け継がれる「バトン」

第二校舎2号館は、多くの人々の記憶と感情が詰まった建物である。特に理工学部の学生にとっては、誰しもが通い、仲間と語り合った思い出の残る場所であろう。

「空間をどう捉え、人と建築の関係をどう考えるか」「どんなに小さな部材にも意義があり、設計とは社会への責任であること」、そうした「建築の心」を学生たちに伝え続けてきた第二校舎2号館。解体が決まったが、これは終わりではなく、次の世代への「バトン」として、新たな学び舎が生まれる契機でもある。第二校舎2号館の姿と精神を、記憶と記録の中にしっかりと残し、未来に引き継いでいきたい。

堀口捨己の設計思想、そしてそこに込められた教育への情熱は、建物が姿を消した後も、明治大学の中で脈々と生き続けることだろう。(理工学部事務室)