ヴィッセル神戸・村上範和さんにインタビュー【第2回】はこちら
語学学習のコツ
鈴木拓也さん(以下:鈴木) 村上さんは英語やドイツ語、ポルトガル語、中国語など語学に堪能ですが、どうやって覚えていかれましたか?
村上範和さん(以下:村上) どの言語もパーフェクトではないんですよ。私が覚えてきた言語、特にポルトガル語は勉強する教材も無かったため、最初は相手が話したことを話すという、オウム返しの状態でした。例えば、「これは何?」と質問して、返ってきた答えを聞いて質問の仕方をまず覚えました。私の場合は読み書きをすることより、話すことの方が必要だったので、とりあえず話してみて、繰り返し使う言葉を自然に覚えていきました。しばらくたって、自分が何回も話している単語を「こういうつづりなんだな」と知ることもありました。
私の子どもは海外で生まれましたが、子どもは話すことから始めて、その後に学校に通うなどして読み書きを習いますよね。そういう意味で、話すことから入った方が早いと考えています。日本の言語教育は、翻訳のための教育と聞いていて、確かに読み書きに対する教育が重点的ですよね。法学部にいる時も、英単語を何千語も覚えました。
鈴木 そうですね。イメージとしては、頭で覚えるというより、体に刻み込んでいったという方が近いのですか?
村上 はい。英語に関しては私も中高大と読み書きで学んできたので、以前は頭で覚えるイメージがありましたが、今は体で覚えていった方が早いと思っています。やり方としては、パッと目に入った外国語の看板などを読むなどすると良いと思います。いい加減なやり方にも聞こえますが、海外にもそういう人がたくさんいるんです。アフリカなどは特に、話せるけど読み書きができない人もいますし、もちろん、書けるから話せるわけじゃありませんよね。
鈴木 外国語の習得を目指している明大生に向けて、勉強へのアドバイスがあればお願いします。
村上 目標が何かにもよりますが、私はコミュニケーションを取ることが目的だったので、先ほど言ったような体で覚える方法で学びました。しかし、文献などを読んでみたいなら、読み書きを勉強した方がいいので、そういう場合には今大学でやっている方法で間違いはないと思います。あとは、読めなくても読んでみることや、運や勘も必要だと思っていて、会話だと、100パーセント内容が分からなくても、何となく流れを汲み取ったりして話はできるじゃないですか。文章もおそらく一緒で、専門的な内容でない限り、何となく流れが分かると思うので、とりあえずは、自分でその流れを読んでみることをお勧めします。文章の流れや意図を想像してみると、適当に読んでいても読めるし、2回以上読むことによって、深く理解できることもあるはずです。気になる単語があれば調べられますし。そういうことの繰り返しなのかなと思います。
海外に興味を持ったきっかけと、滞在中の休日の過ごし方
鈴木 村上さんご自身が海外に興味を持たれたきっかけというのは何でしたか?
村上 元は父の転勤がきっかけだったので、垣根が低かったということもあります。私が子どものころはサッカーのセリエAがとても注目されていて、イタリアのサッカーばかり見ていたことも大きいです。
鈴木 海外ではお休みの日は何をして過ごされていましたか?
村上 妻と一緒に現地の観光もしましたし、海外ではカフェの文化があったので、コーヒーを飲みながらのんびり通行人を眺めることもしていました。
鈴木 休みの間も私生活の中で意識されていることはありましたか?
村上 現地の人たちが好きなものや、人気のあるものを聞いたり、やってみたりしていました。あとは、人と会うことですね。旅行をする際も、知り合いに会うために行くということはよくありましたが、観光のためだけに行くというのはほとんどありませんでした。
鈴木 コミュニケーションを取ることをとても大切にされていたのですね。
村上 そうですね。特に現地の人は、その土地のことをよく知っているし、自分で調べるより、教えてもらった情報の方が面白いと思っていました。
法学部を選んだ理由と、学生生活の思い出
鈴木 第1回で明治大学を選んだ理由をお伺いしましたが、なぜ法学部を選ばれたのですか?
村上 学部を選ぶ時点で、法学部は弁護士や検事のイメージがあって、何となくかっこいいじゃないですか(笑)。
鈴木 私も思いました(笑)。
村上 そういった憧れがあったのと、父が文武両道という言葉をよく使っていた影響もあって、サッカーをやっているから勉強ができないと思われるのが嫌で、できれば偏差値が高いところに入りたいと思って、法学部にチャレンジしました。
鈴木 実際に入学されて、いかがでしたか?
村上 想像以上に課題が多くて大変で、体育会であることも関係ありませんでした。また、4年次に休学したので、復学してからの1年間は全く友人がいないにも関わらず、必修の単位が結構残っていて、そのことも大変でしたね。逆に言えば、たくさん学ばせてもらったというのもあります。鈴木さん、単位は平気ですか?
鈴木 何とか、ここまでは大丈夫です。学部時代はどんな学生として過ごされていましたか?
村上 体育会サッカー部に所属していたので、基本的には八幡山グラウンドと大学を往復していました。イタリア語の授業を受けていて、授業時間が水曜日の午後だったので、そこには必ず出席していました。
鈴木 第二外国語は何を取られていたのですか?
村上 フランス語です。鈴木さんは何を取っていたのですか?
鈴木 私はスペイン語です。
村上 選べるのは、スペイン語とフランス語、ドイツ語、ロシア語でしたっけ?
鈴木 中国語もですね。大学の施設で好きな場所はありましたか?
村上 駿河台キャンパスのリバティタワー1階のエントランスの椅子でぼんやりと人を待ったり、通る人を何となく眺めているのが好きでした。
鈴木 やっぱり、人を見ていらっしゃることが多かったんですね。
村上 普段から通行人が多い道路わきのカフェに入ったりすることもあるので、そういう興味も当時からあったのだと思います。先ほどうっかりリバティタワーに入った時に、「そういえば、ここによくいたな」と思いました。
鈴木 大学時代の経験で、印象的だったエピソードはありますか?
村上 大学時代はサッカーがメインの生活をしていましたが、4年生で復学して、友人がいなかった時期に、授業で全然知らない人たちに声を掛けたりしていました。年齢は違う人がほとんどだけど、そこで仲良くなれたのが面白かったですね。大学時代から今と同じようなことをしていたのだなと思います。
鈴木 サッカー部での寮生活などはいかがでしたか?
村上 私は寮には入っていないんです。サッカー部は全寮制でしたが、事情があって入っていなくて、自宅から通いながらサッカーをしていました。あそこで過ごしている選手たちはすごいと思います。ブラジルに滞在していた時は寮に入りましたが、まさか同じような環境になるとは思っていませんでした。
鈴木 明治大学の経験で役に立ったことはありますか?
村上 体育会の部活にいたので、社会の縮図みたいなものに触れることができたというのは、高校生からサッカー選手になっていた場合とはまた違うと思いますし、また、キャンパスが都内にあったおかげで、都内のいろいろな場所に行ったり、人に会えたりできました。東京は人も物も集まってくるじゃないですか。特に明治のつながりって広くて、そういったものに出会えたのは良かったです。
鈴木 卒業後も大学の仲間とお会いになりますか?
村上 そうですね。ヨーロッパに行ってからはあまり会えていませんが、同級生とは頻繁に連絡を取り合っていて、サッカー部にも、コンタクトを欠かさない仲間がいます。海外に行くと、日本のコミュニティ自体が小さいため、明治大学出身の人が必ずいるんですよ。明治大学というだけで、私のことをかわいがってくれて、そういった繋がりは大きいと思います。
村上範和さんから明大生へ動画メッセージ
After the Interview…
鈴木拓也さん(2018年法学部卒)
ただ言葉を訳すだけでなく、話し手と受け手の間で摩擦が起きないように、村上様ご自身で一旦話を噛み砕き、必要がある場合には村上様からも質問をするようにしているというお話がとても印象的でした。

2005年明治大学法学部卒業。在学中のブラジルへのサッカー留学をきっかけに、世界各国のチームで活躍し、南アフリカでは初の日本人サッカープレーヤーとしてチームに貢献。現在はヴィッセル神戸にて、ルーカス・ポドルスキ選手の専属通訳を務めている。
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