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スペシャル・インタビュー
2019.11.13

【特集・第1回】ハーモニカ奏者 寺澤ひろみさんにインタビュー

学生卒業生インタビュー

2001年ドイツで行われた「ワールドハーモニカフェスティバル」複音ハーモニカ独奏部門で、明治大学在学中に初出場で初優勝を果たし、その後、プロのハーモニカ奏者として、幅広く活躍を続けている寺澤ひろみさん。今回は、合唱サークル「グリークラブ」に所属している関根恭太郎さんが、音楽と歌、そして、それらの演奏に重要な「呼吸」をテーマにお話を伺いました!
プロフィール寺澤ひろみさん(2002年文学部卒業)

東京都出身。 複音ハーモニカ奏者だった父の影響で明治大学ハーモニカソサエティーに入部。父の急逝をきっかけに独学で複音ハーモニカを習得し、2001年ドイツ・トロッシンゲンで行われた「ワールドハーモニカフェスティバル2001」複音ハーモニカ独奏部門に初出場し優勝。

音楽のジャンルを問わずハーモニカの魅力を伝えるべく、箏・尺八・薩摩琵琶、ピアノトリオ、弦楽四重奏、ウインドオーケストラなど様々な楽器との共演を果たす。テレビ・ラジオにも多数出演し、映画・テレビドラマでのハーモニカ指導も務めるなど、多方面で活躍中。 日本ハーモニカ芸術協会 師範、全日本ハーモニカ連盟 常任理事。2018年より「F.I.H.Japanハーモニカコンテスト」にて史上初の女性審査員を務める。

今回のインタビュアー関根恭太郎さん(経営学部4年)

    明治大学グリークラブ所属。寺澤さんには、ハーモニカ演奏を通じた音楽表現の仕方ついて話を聞きたい!

複音ハーモニカとは?

関根さん(以下:関根) 寺澤さんがお持ちのハーモニカは私が知っているものと違って見えますね。

寺澤さん(以下:寺澤) これは、複数の音が同時に出せる「複音ハーモニカ」という楽器です。私の好みに合わせて、2ヘルツ高さの違う音が鳴って、ビブラートがかかるようになっています。関根さんはハーモニカを演奏したことはありますか?

関根 吹くとプーってなるような普通のハーモニカが家に1台あったので、吹いて遊んだりしていました。

寺澤 この「複音ハーモニカ」は日本で発達した楽器ですが、ハーモニカ自体はドイツが発祥です。実は、もともとドイツに渡る前に、日本のある楽器がハーモニカの起源だといわれています。どんな楽器かわかりますか?

関根 難しいですね。オカリナでしょうか。

寺澤 残念。雅楽などで使われる「笙」という楽器です。竹の管がたくさん集まってできていて、リコーダーのように管の穴を指でふさぎ、吹き口から息を吸ったり吐いたりすることによってリードを振動させて音を鳴らす仕組みです。

その後、西洋でパイプオルガンの調律を行う際の基準の音を鳴らす楽器として、シルクロードを渡ってたどり着いた笙を分解してヨーロッパにある材料でつくったものがハーモニカの発祥だといわれています。欧米各地で発達していったものが、日本には日露戦争の頃に輸入されたそうです。日露戦争があったのはいつでしたっけ?

関根 1904年ですね。

寺澤 素晴らしい!勉強家ですね!その頃はハーモニカではなく、「カチドキ笛」という名前だったそうで、戦争で勝つことを意識した商品名だったようです。まだおもちゃに毛が生えたようなカチドキ笛に、日本の先人たちがいろいろと手を加えて、現在の形に至っています。

関根 歴史を感じます。

寺澤 「複音ハーモニカ」は複数音が鳴らせるので、演奏に和音やリズムを入れて、複数の人が吹いているように聞こえるというのが特徴です。私はこの楽器を演奏したり、教えたりすることを生業としています。

ハーモニカとの出会い

関根 寺澤さんがハーモニカを演奏するようになったきっかけを教えてください。

寺澤 ハーモニカを始めたのは大学に入ってからなのですが、父親がハーモニカ奏者だったので、この複音ハーモニカが家にある環境で育ちました。でも、両親とも何かを強制することはなく「好きなことをすればいいよ」という感覚だったので、高校では吹奏楽部に入ってパーカッションを担当していました。

そろそろ進学する大学を考えたいなという頃に、たまたまうちの近くの公民館で、明治大学のハーモニカソサエティーの定期演奏会があることを知って。大学のハーモニカとはどんな感じだろうと聴きに行ったんです。

関根 お父様の仕事柄もあって、どこかで興味をお持ちだったのでしょうね。

寺澤 でも、行ってみたら、ハーモニカソサエティーという名前なのに、伴奏を弾いているギターやベース、ピアノの先輩の方が派手で目立って聞こえているような印象を受けたんです。期待していたよりもハーモニカ感が感じられなくて。

家に帰ってもやるせない気持ちが晴れなかったので、ハーモニカ協会で役職にもついている父に「お父さんたちは何をやっているんだ」って強い口調で聞いたんです。すると口論になり、「そんなことを言うのなら、明治大学に入ってみればいい」と言われて、買い言葉で「わかった、入るわよ!」と返してしまって。今思えば父の口車に乗せられていたんですね(笑)。

関根 それで、明治大学のハーモニカソサエティーに入ることが目標になったのですね。

寺澤 たしか演奏会が土曜日で、明けて月曜日に高校に登校してみると、教育実習に来た大学生の先輩の顔に見覚えがあって。なんとその演奏会でハーモニカのソロパートを上手に吹いていた方だったんです。

関根 すごい!偶然というか、運命的ですね!

寺澤 廊下ですれ違ったときに、「おととい、ハーモニカ吹かれていませんでしたか?」と声をかけたら、「何で知っているの?」ということになって。「私、聴きに行きましたよ」とお話ししてすっかり仲良くなりました。

すると先輩は「行きたい大学や、勉強したいことは決まっているの?」と聞いてくださって、「読書が好きで、今は橋本治さんの『窯変 源氏物語』にハマっています」と返すと、「うちにいらっしゃい、いい先生がいるよ」と言ってくださったんです。そういったこともあって明治大学を志望して、見事入学することができました。

関根 まさに、ハーモニカが繋いだ「縁」ですね。

 次のページでは、ハーモニカと過ごした明治大学での4年間についてお聞きしています

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