オリックス・バファローズ 山﨑福也選手×公認会計士・税理士 国吉大陸さん 明治大学で培った力でそれぞれの道を「前へ」歩み続けるお二人に話を聞いた
商学部政治経済学部資格卒業生インタビュースポーツ
パ・リーグ クライマックスシリーズと日本シリーズが目前に迫った中、学生時代の夢をかなえて、それぞれの道で活躍するお二人による特別対談を実施しました。
プロフィール
山﨑 福也(やまさき・さちや)
2015年明治大学政治経済学部卒業。私立日本大学第三高校野球部では、エースとして高3春の選抜高等学校野球大会(春の甲子園)に出場し準優勝。明治大学では、1年次秋から東京六大学野球リーグ戦で活躍し、3年次には38年ぶりの春秋リーグ連覇を達成。2014年のプロ野球ドラフト会議でオリックス・バファローズから1位指名を受け入団。2023年のシーズンは自身初の二桁勝利を収め、パシフィック・リーグ3連覇に大きく貢献。
国吉 大陸(くによし・たいりく)
2015年明治大学商学部卒業。沖縄県の私立興南高校野球部では二塁手、一番打者として活躍し、当時史上6校目となる甲子園春・夏連覇を達成。明治大学商学部に進学後、難関国家資格である公認会計士試験合格に向けて勉学に励み、3年次在学中に合格。現在は地元の沖縄県で国吉大陸公認会計士・税理士事務所を開業し、沖縄県内の企業・団体を支援している。
大学卒業以来の再会、そして現在のそれぞれの道について
――大学卒業以来の対面となりますが、いかがですか?
山﨑さん(以下:山﨑) 大学卒業して以来の再会ですが、国吉君はあまり変わっていない印象ですね。
国吉さん(以下:国吉) めちゃくちゃ体が分厚くなっていて、2倍くらいの大きさになっている気がしますね(笑)。
――山﨑選手、パ・リーグ優勝、そしてご自身初の二桁勝利も誠におめでとうございます!今はどのようなお気持ちですか?
山﨑 ありがとうございます!まだこれから日本一への戦いがあるので、次はそっちに向けて頑張っていきたいなという気持ちです。
――国吉さん、山﨑選手のご活躍をどういう思いでご覧になっていましたか?
国吉 試合をずっと見ていましたが、二桁勝利はなかなかできる数字ではないので、純粋にすごいなと思いましたね。
山﨑選手の明治大学でできた人との「つながり」
――明治大学体育会硬式野球部は、山﨑選手をはじめ多くのプロ野球選手を輩出しています。「つながり」を感じたことはありますか?
山﨑 プロ野球界に入って一番最初に思ったのは、東北楽天ゴールデンイーグルス元監督の星野仙一さん(故人・1969年政治経済学部卒業)など選手・監督・コーチ含めて、明治出身者が多いなということです。心強さを感じるとともに学ぶことも多かったので、明治大学に入って本当に良かったと実感しています。
――在学中にバッテリーを組まれていた阪神タイガースの坂本誠志郎選手(2016年文学部卒業)と日本シリーズで対戦する可能性があると思います。在学中の坂本選手の印象を教えてください。
山﨑 坂本選手は学年は1つ下ですが、後輩という感じでは接していなかったので、同級生というか、勝つために二人で話し合いをして、たくさん練習もしました。寮の部屋も一緒だったので、弟のように感じていました。今後の試合で対戦するのがすごく楽しみです。
――1年次秋から試合に出られていたと思いますが、野球部での学びが、実際に今プロの世界で生かされていることはありますか?
山﨑 当時の野球部の善波達也監督は私生活からすごく厳しい方でした。寮生活や野球をするまでの準備など、善波監督の「厳しさ」はプロ野球界に入ってからも生きています。監督から言われた言葉の中で最も印象に残っている言葉は「手を抜くな」です。この言葉は善波監督が、日頃の練習から部員みんなによくおっしゃっていました。成績が思うように出ない場面でも当時の厳しさを思い出して頑張ろうという気持ちになります。明治大学野球部で技術面はもちろん、精神的にも強くなれました。

練習中にチームメートの山本由伸選手とコミュニケーションを取る山﨑選手
――在学中の一番の思い出は?
山﨑 野球部の仲間約100人との寮生活です。厳しい環境でしたが、今となっては野球部の同期や先輩後輩との人間関係が本当に良かったなと思います。3年次に春季・秋季ともリーグ優勝を経験しましたが、それよりも、仲間とのつながりが在学中の一番の思い出です。今でも交流はあり、会った際には野球部時代の話をして懐かしんでいます。
――国吉さんは在学中、山﨑選手のような体育会に所属する学生にどのようなイメージを持たれていましたか?
国吉 僕が勉強に励む一方、教室にふらっと来ているなというイメージでした(笑)。冗談はさておき、戦っている人の目つきをしていました。それぞれの目標を目指して本気で戦っている集団だなと思っていました。
――山﨑選手から見て、国吉さんのように資格取得を目指して勉強を頑張っている学生はいかがでしたか?
山﨑 まず、頭が違うんだろうなと思っていました(笑)。僕はずっと続けてきた野球がきっかけで大学に入ったので、国吉君たちが熱心に勉強している姿を見ると「どんなことを勉強しているんだろう?」とか「見ても全然分かんないんだろうな」などと勝手に想像していました(笑)。明治大学には頭が良い人が集まるという印象があったので、高校生まで一緒に野球をしていた人が、そこから切り替えて勉強に集中するというのは、二刀流みたいな感じですよね。とてもすばらしいことだと思います。
――オリックス・バファローズ入団後の、野球部OBの方々とのエピソードがあればお聞かせください。
山﨑 毎年2月に行われる宮崎キャンプで、善波監督と当時のマネージャーにも来てもらって「明治会」というプロ野球選手の関係者が集まる食事会があります。ここ数年はコロナ禍で開催できていないのですが、そろそろ再開されると思うので楽しみにしています。
――明治大学野球部は今年、東京六大学野球春季リーグで優勝し、3季連続となる通算43回目の優勝を成し遂げました。後輩の活躍をどうご覧になりますか?
山﨑 ロッカールームで大学生の試合も観られるのでチェックしています。僕自身、後輩の活躍はすごく刺激になります。これからも優勝を目指して頑張ってほしいですね。
山﨑選手の明治大学で得られた「経験」について
――野球部ではエースとしてプレッシャーがあったことと思います。どのように乗り越えられたのですか?
山﨑 他にもたくさんエース級の選手がいたので、まずは「その選手たちに負けちゃいけない!」という気持ちでやっていました。他人と一緒のことをしていてはダメだなと思い、練習量を増やしました。何をすべきかということは常に考えていて、マイナスな部分を少しでもなくしていこうという考えをずっと持っていました。高校野球と比べてレベルも上がり、特にフィジカルはもっと強くしないといけないということを強く感じていました。

2014年ドラフト会議でオリックス・バファローズから1位指名を受け、記者会見に笑顔で応じる山﨑選手。
右は善波監督(当時)
――山﨑選手が在学中に最も成長し、自分の「個」が強くなったと思ったことや、明治大学に進学して良かったと思ったことを教えてください。
山﨑 野球部には良い選手がたくさん集まっていて、周りの選手に影響されて、「負けない!」という気持ちが生まれました。エースとしていろいろな責任を背負っていく中で、自分自身がさらに強くなっていく感覚がありました。

ドラフトで指名された後、野球部の仲間から肩車され、笑顔でガッツポーズの山﨑選手
国吉さんの明治大学でできた人との「つながり」
――実はお二人が4年次であった2014年に取材をさせていただきました。当時、国吉さんは「ゆくゆくは地元の沖縄県に戻り、沖縄の人々のため、そして沖縄の経済発展のために貢献したい」とお話しされていましたね。
国吉 今のところ大学生の時に思い描いていた通りの人生にはなっていますが、山﨑選手のような同級生の活躍を見ていると、もう一歩、僕も頑張らないといけないなと思っています。これから会社のトップとして事務所を大きくして、沖縄の企業をサポートしていきたいです。

「時代を切り拓き、国際社会をリードする未来開拓力のある強い『個』を育成」という企画で、9年前の2014年7月25日付の読売新聞全国版に記事広告として展開された
――明治大学の「つながり」を感じることはありますか?
国吉 沖縄県で「明友会」という明治の卒業生の集まりがあり、それに毎月1回参加しています。先日開催され、約20名の参加者の中で今一番若手でした。明治のつながりは今でも強く感じています。
――在学中の一番の思い出は?
国吉 大学生活中はずっと公認会計士試験に向けて集中していました。試験勉強は野球と違って個人プレーのような感じもしますが、明治の経理研究所には資格取得という同じ志を持ち、在学中での合格を目指している仲間がたくさんいました。どうしてもうまくいかない時もありましたが、みんなで励まし合いました。また、地方出身者が周りには多かったので、「一緒に負けずに頑張ろう!」と切磋琢磨しながら勉強ができたことも印象に残っています。
――経理研究所でのエピソードをお聞かせください。
国吉 経理研究所の先生に言われて印象に残っている言葉は「分かるとできるは違う」です。「試験勉強で分かったことと、受かるまでのできるは違う」ということです。また、経理研究所の仲間との思い出は、お互いに勉強方法のアドバイスをし合ったことです。点数が伸び悩んでいる時に、どのように勉強をしているのかを良く聞いていました。
国吉さんの明治大学でしか得られなかった「経験」について
――現在地元で公認会計士・税理士としてご活躍されていますが、地元の沖縄県の大学ではなく、なぜ東京の明治大学を選択されたのですか?
国吉 高校の頃から公認会計士・税理士の道を目指していたこともあり、高校で野球を引退することを決めていました。大学を探している時に、明治大学は公認会計士の合格実績が全国で上位であることと、資格取得に向けたサポート体制が充実していることを知ったからです。姉が明治大学出身であることも理由の一つでした。

国吉さんは甲子園春夏あわせて23安打15得点打率4割6分を記録。延長戦となったセンバツ決勝で山﨑選手とは6度対戦した(写真:毎日新聞社提供)
さらに「新たな環境に身を置いて挑戦したい!」という思いもあり、「ビジネスを学ぶなら東京だ!」と思って上京を決めました。
――明治大学の資格取得に向けてのサポート体制はいかがでしたか?
国吉 経理研究所には大学1年次の夏頃からお世話になったのですが、施設自体がとても充実していました。大学卒業後、東京の監査法人に入ったのですが、会計士合格の上位大学出身の同期との出会いの中で、明治大学経理研究所の施設は特別な環境だったのだな、ということを感じました。自分用の個室を提供してもらい、そこでずっと勉強ができる環境だったので、在学中での合格を目指すことができました。
――東京の監査法人を経て、今は地元の沖縄県で開業していらっしゃいます。夢を実現された国吉さんのお話を山﨑選手はどう思われますか?
山﨑 もう本当にすごいとしか言えないですよね。僕たちが野球をしている期間、国吉君はたくさん勉強をしていろいろと大変な思いもしたんだろうなと感じました。

2010年センバツ甲子園の決勝で国吉さんと対戦し、力投する山﨑選手(写真:岡沢克郎/アフロ)
――国吉さんも高校まで野球をされていましたが、野球から得た学びがお仕事に生きていることはありますか?
国吉 興南高校野球部の当時の我喜屋優監督から「準備の大切さ」を教えてもらいました。甲子園に行くためにどれだけ準備をするか、その大切さが今の仕事でも生かされていると思います。
例えば、顧問先が何社かあり、毎月その顧問先にデータ報告や現在抱えている問題をディスカッションしに行きます。どのような話を会議の場でするのかを事前にチームメンバーと話し合い、さまざまな仮説を立てながら、検討します。大切なことは、事前のリサーチなどの準備を怠らないことです。

生まれ育った沖縄の発展を願い、自身で経営する公認会計士・税理士事務所で日々奮闘している
――今だからこそ感じる明治大学の良さを教えてください。
国吉 卒業してからの9年間を振り返ると、地元の沖縄県で仕事をする中で、企業のトップとして活躍されている先輩たちの中にこんなにもたくさん明治の卒業生がいるとは思っていませんでした。校友の先輩方に、仕事のノウハウやトップとしての心構えなどを教えていただける機会などもあり、明治で良かったと感じています。
お二人の逆境の乗り越え方
――第一線でご活躍される中で、お二人が困難な状況をどのように乗り越えて来られたのか、教えてください。
国吉 大学卒業後、一番大変だったことは、26歳で沖縄県に戻った際に、父親の税理士事務所を事業承継したことです。思っていた以上に大変で、元々いる職員の方々と僕が目指したい方向性の違いなどで、会社がこのままうまくいくのか、1年先ですら見えない状況でした。
その時に、高校野球や大学での資格取得のための勉強で培った「当たり前のことを当たり前に一つずつやっていく」という考え方を大事にするよう意識しました。高校ではこの考え方を基に練習を続けたところ、甲子園で優勝できたので、自分を信じて目の前のことを一つずつ着実にしていけば、いつかはパッと視界が開ける時が来ると思って取り組みました。
さらに、山﨑選手の活躍がこの時に励みになりました。僕以上に毎週プレッシャーがかかる試合で登板しているので、「僕の悩みは小さなものである」という感覚でここまでやって来ました。
山﨑 プロ野球選手になって数年間は全く結果が出ず、このままではまずいなと感じていました。いろいろと考えた結果、自分自身をもう一回見直すことにしました。野球部で鍛えられた精神力を生かしながら、トレーニング方法や投げ方を一から徹底的に見直し、何が足りないのかを分析し、自分が何をすると良いのかということがだんだんと分かっていきました。すると今では少しずつ結果も出て、いい形になってきていると思います。自分自身を理解しようとしたことが今にも生きています。
今後について
――お二人の今後の目標、抱負を教えてください。
山﨑 まずは日本シリーズで2連覇することです。個人としては、今後の野球人生でタイトルを取れるように頑張りたいと思います!
国吉 スポーツの世界から離れると、優勝といった分かりやすい目標を設定するのが難しいのですが、目標としては、10年後には沖縄県の会計事務所と言えば、自分の事務所の名前が挙がるようになっていたいです。そしていずれは、沖縄県で一番の会計事務所と言われるようになることです。
――最後に明大生に向けてメッセージをお願いいたします!
山﨑 大学生の時期はすごく大事な時間になると思います。皆さん何かしら夢や目標があると思います。その夢や目標に向かって、少しずつコツコツ学生時代から頑張っていただきたいと思います。頑張ってください。応援しています!
国吉 地方に戻り大学生活を思い返すと、あれだけいろいろな所から人が集まってそこで切磋琢磨できる時間は、この大学4年間しかないと実感します。サークルやクラスといった枠を超えて、いろいろな人と交流する時間をぜひ持っていただきたいと思います。頑張ってください!
- 山﨑福也さん(右) 1992年埼玉県生まれ。2015年明治大学政治経済学部卒業。私立日本大学第三高校野球部では、エースとして高3春の選抜高等学校野球大会(春の甲子園)に出場し準優勝。明治大学政治経済学部へ進学し体育会硬式野球部に所属。1年次秋から東京六大学野球リーグ戦で活躍し、3年次からはエースとしてチームを率いて38年ぶりの春秋リーグ連覇を成し遂げた。2014年のプロ野球ドラフト会議でオリックス・バファローズから1位指名を受け入団。2023年のシーズンは自身初の二桁勝利となる11勝5敗の成績を収め、パシフィック・リーグ3連覇に大きく貢献した。
- 国吉大陸さん(左) 1992年沖縄県生まれ。2015年明治大学商学部卒業。沖縄県の私立興南高校野球部では二塁手、一番打者として活躍し、当時史上6校目となる甲子園春・夏連覇を達成。明治大学商学部に進学後、難関国家資格である公認会計士合格に向けて勉学に励み、3年次在学中に合格。EY新日本有限責任監査法人へ入所し、税理士法人・社会保険労務士法人 タックス・アイズを経て、現在は地元の沖縄県で国吉大陸公認会計士・税理士事務所を開業し、沖縄県内の企業・団体を支援している。
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