
2012年3月、文学部を卒業。学生時代は体育会硬式野球部で投手として活躍。4年次には全国優勝を経験。2011年のプロ野球ドラフト会議では育成選手として読売ジャイアンツから3位指名を受け入団するも、1軍昇格を果たせず3年で戦力外通告となる。
2016年にアクセンチュア株式会社へ入社。プロ野球から外資コンサルティングファームへの異例の転身となる。2019年に起業しフィリピンに移住。起業7年目となる現在は、シンガポールに拠点を移し、コンサルティング事業や、タレント・アスリートを起用したイベント企画・PR事業をメインに会社経営を行う。その一方で、一般社団法人を立ち上げ、海外での野球の発展に尽力。2024年には念願の「アジア甲子園」の開催を実現した。
明治大学に入学した理由を教えてください。
中学2年生の時に難病(ベーチェット病)を発症し、この先、大学やプロの世界で野球を続けることは難しいと考えていました。だから、高校3年生の進路を選択するタイミングで明治大学(硬式野球部)から声をかけてもらった時は本当にうれしかったですね。地元大学への進学という選択肢もありましたが、家族と相談し、将来就職をすることを考えると明治大学が一番良い、という結論に至りました。その頃から「就職の明治」というイメージは強かったのだと思います。
当時、硬式野球部には同じ高校の先輩も在籍していて、「自身の病気の状況も含め理解してくれている先輩がいる」ということも大きな安心材料になりました。実際に入部した硬式野球部では、もちろん練習面での厳しさはありましたが、先輩後輩分け隔てなくコミュニケーションが取れる環境で、本当に良い人間関係が築けたと思っています。
明治大学での経験が、現在のキャリアに生かされているところはありますか。
さまざまな学生とコミュニケーションを取れたことで、それぞれの価値観を知ったことは大きな財産になりました。大学で授業を受ける時には、あえて野球部以外の人たちと接点を持つように心がけていました。明治大学を選んだ理由、授業やアルバイト、日々の生活のこと、就職活動のこと、それぞれ全く違う価値観を知ることができ、本当に面白かったです。良き友人も作ることができましたし、やっぱりいい大学だなと実感しました。
戦力外になって就職活動をする時も、大学時代の同級生に相談しました。就職キャリア支援センターを利用したのも、学生時代に就職活動の話を聞いていたからこそ選べた選択肢ですね。さまざまな価値観を知ることで選択の幅を広げることができました。「明治大学を選んで良かった」としか思えないですね。
一番つらかったことや苦労したことを教えてください。
アクセンチュアに入社した1年目は本当に大変でした。「3年間できっちりビジネスを学び、力を付けて次のステップに進もう」と意気込んで入社したものの、社内外で専門用語が飛び交い、しかも社会人未経験だったので言葉遣いや名刺の渡し方、メモの取り方すら分からない状況。新卒・第二新卒として入社した周りの同期に付いていくのに必死な毎日でした。
ただ、そのような状況であっても、友人たちと会話をすることは意識して行っていて、この行動を通して自分の価値観や目標を再認識する良いきっかけにしていました。
起業するに至った経緯を教えてください。
もともと起業することは考えていませんでした。先ほども言ったように、3年間で次のステップへ進むという目標があったので、再度転職活動を始めました。ところが、私がやりたいこと、「スポーツに関わる」×「海外を拠点にする」×「ビジネスとして成り立たせる(しっかり稼ぐ)」という軸を、バランスよく実現できる会社を、自分の知る限りでは見つけることができませんでした。実際に、当初目標にしていた広告代理店などの企業から内定をいただけたのですが、自分自身の中で決め切ることができなかったんです。
プライベートで会社経営者や起業家と話をする機会が増えたことから、「自由度が高く自分のなりたい姿を実現するには、自ら会社を立ち上げる方が良いかもしれない」という考えに至り、起業を決意しました。始めるに当たって、参考になる事業や会社を調べてみたものの、なかなか見つからない。それであれば「まずはやってみよう」ということで、当時野球を通じた関わりの深かったフィリピンに移住しました。
仕事のやりがいについて教えてください。
まず、海外で野球アカデミーを立ち上げるところから始めました。日本での起業と、フィリピンでも株式会社を立ち上げ、運営を行うことを念頭に進めていましたが、コロナ禍で野球アカデミーの練習ができなくなったり、海外の手続きが滞ったりと、起業当初はさまざまな逆境を経験しました。野球関連の活動ができなくなったことから、一旦はコンサルティング事業の収益化に集中して取り組みました。
そこから、仕事で関わるコンサルタントの中で、野球熱がある人たちを仲間にしていくことで、自分が目指していた軸で仕事ができる環境を整えてきました。仲間が増えたことで自分自身が自由に動ける時間が増えたこと、二つの企業活動がうまく回り出したことで、2024年12月に「日本の甲子園ブランドをアジアに輸出する」「野球を通じた国際交流の機会を創る」というミッションの下、「アジア甲子園」の開催を実現することができました。
大変でしたが、自分がやりたいと思ったことを実現するために試行錯誤する、そこにやりがいを感じています。
今後の目標について教えてください。
メインのコンサルティング事業では、他社と差別化を図れるよう、スポーツ、海外といった分野の拡大に努めることが直近の目標です。そしてもう一つ、「アジア甲子園」のさらなる発展です。「アジア甲子園」に限って言えば、日本の甲子園大会が海外で開催されている、と日本人が見て感じる世界観を作ること、経済効果も含めてその価値を輸出できる大会運営を実現したいです。
一方で、個人としては、起業して、やりたいと思ったことをやって(夢を追いかけて)いるOBがいる、ということを多くの人に認知してもらい、これから社会人になる学生の皆さんの選択肢の幅を広げられる、モデルケースのような存在になれれば良いと思っています。
明大生に向けてメッセージをお願いします。
明治大学は「『個』を強くする大学」という理念を掲げていて、私が学生だった時からその印象が強く残っています。自分を磨き、その個性の生かし方を学べた4年間だったと思います。自分たちのコミュニティーだけではなく、いろいろな学生と触れ合うことで自身の感性が磨かれていく、その環境が明治大学にはあります。ぜひそれを活用してほしいと思います。たくさんの友人を作って、自分を磨いてください!
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