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2025.06.06

ウズベキスタン国立世界言語大学で日本語教師として活躍|大野友和さん

法学部国際交流卒業生
協力してくれた校友(卒業生)大野友和さん(1973年法学部卒業)

サマルカンドレギスタンド広場前で

勤務先 ウズベキスタン国立世界言語大学(専任教師)

1973年3月、明治大学法学部法律学科を卒業。明治大学の事務職員として、約半世紀弱の期間勤務。大半を図書館で勤務し、40代半ばから総務部(文書課)、研究推進部、経営企画部などを経て、定年前に当時本学と連携協定を結んだ新潟県南魚沼市にある国際大学(IUJ)へ事務局長として出向し、2016年度末に退職。現在、ウズベキスタン国立世界言語大学にて、日本語教師として勤務。

定年退職後、日本語教師を目指したきっかけを教えてください

会社などに勤務していた人が、「60、65歳で定年を迎え、その後の20~30年間をどのように生きていくか」は重要な課題です。その昔に何かの講演会で、「定年後は、『教育(きょういく:今日行くところ)』『教養(きょうよう:今日用事があるかどうか)』が大切である」と冗談めかしの言葉を聞いたことがありました。

私は多少の趣味は持っていましたが、何もせずに家にいることが、だんだん苦になっていました。そして、「何か外国人との交流、日本を伝えること、何かを求める人のサポートをしたい」と考えるようになりました。しかし、その素養も専門知識もなく思いを巡らしていましたが、意を決して「日本語教師」の資格取得を目指しました。

日本語教師になるために行った準備や勉強について、教えてください。

日本語教師になるためには、資格が必要です。資格は、大学・大学院で「日本語教育に関する教育課程」を修了、日本語教師養成講座「420時間カリキュラム」を修了、「日本語教育能力検定試験に合格」などの方法で取得することができますが、私は専門学校に通い「420時間講習」を受けて資格を取得しました。70歳直前の私にとって毎日の講義や実習は、結構きついものがありました。

老体にムチ打ち70歳でようやく資格を取得できましたが、折あしく少し前から始まった「コロナ禍」で来日者の激減があり、日本語学校で働くことは極めて困難となりました。加えて、実際に教えた経験もない私に働く場は巡ってきませんでしたので、半ば諦めていました。

ウズベキスタンの日本語学校「のりこ学級」でボランティアの日本語教師から、ウズベキスタン国立世界言語大学の専任教師へ。

そんな時、以前からメールで交流していた、ウズベキスタンの「のりこ学級」という日本語学校の校長ガニシェルさんから連絡があり、「大野さん!ウズベキスタンに遊びに来てください」との話があり、「縁もゆかりもないウズベキスタンに行ってみよう」ということがきっかけで、2024年5月末にウズベキスタン東南部、キルギスとの国境近くのリシタンという小さな町に来て、ボランティアでの日本語教師がスタートしました。

その後、現地の方と知り合いが増える中、首都タシケントにある国立世界言語大学の方とのご縁があり、「ウズベキスタン国立世界言語大学で、日本語教師として働いてみないか」ということになり、2024年9月の新学期から専任の教師となりました。

「のりこ学級」に在日ウズベキスタン大使が来訪時の一枚(2列目:右から、大野さん、ガニシェル校長、在日ウズベキスタン大使)「のりこ学級」に在日ウズベキスタン大使が来訪時の一枚(2列目:右から、大野さん、ガニシェル校長、駐日ウズベキスタン大使館特命全権大使 ムフシンフジャ・アブドゥラフモノフ大使)

ウズベキスタン国立世界言語大学について、教えてください。

私が勤務するウズベキスタン国立世界言語大学は、首都タシケントにあり、多言語教育に特化した言語専門の大学です。英語をはじめ、日本語、ドイツ語、フランス語、ロシア語、スペイン語など、約20カ国語の教育プログラムを提供しています。特に日本語教育には力を入れており、日本語を学ぶ学生は1000人ほどが在籍します。言語技能を身に付けた人材を育成し、国際的なコミュニケーション能力の向上と異文化交流を通じて、世界各国との絆を深めることをミッションとしています。

4年生(ロシア語クラス)での授業風景4年生(ロシア語クラス)での授業風景

個々の学生は熱心に語学教育を受けています。彼らは、自国語のウズベク語をはじめ、ロシア語、英語を話し、加えて日本語、トルコ語などが話せる学生が少なくありません。3~5カ国を話すことができる学生が、数多くいます。何の躊躇もなく堂々と外国語を話すこれら学生の現状を見ると、「日本の外国語教育を、抜本的に改革しなければ」と思う次第です。

4年生(ウズベク語クラス)の学生と、授業終了後の一枚4年生(ウズベク語クラス)の学生と、授業終了後の一枚

日本語をどのように教えていますか?

日本語教授法にはいくつかの方法がありますが、私は「直接教授法」、つまり日本語で日本語を教える形をとっています。もっとも、ウズベク語もロシア語もできない私には、この方法しか教える術はありません。

4年生(ウズベク語クラス)の学生と4年生(ウズベク語クラス)の学生と

国立世界言語大学での1日の流れを教えてください。

大学での日本語授業は、頻繁に時間割が変更されます。月単位で大幅に変わります。一般的な日本語(聴解、読解、文法、漢字、会話、作文等)科目に加え、日本文学、文体論、国家研究(日本の現状把握)などの科目があります。私たち教師は、1コマ80分の授業が週10~14コマ組まれます。授業を受ける学生数は日本語科目が概ね10~15人程度です。日本文学などの科目は4~6クラス合同の授業で、70~80人の受講生がいます。

3年生(ロシア語クラス)の学生と3年生(ロシア語クラス)の学生と

午前8時30分~午後8時50分(夜間部:午後6時~)まで授業が行われます。1日の流れは、組まれた時間割に従い、1日2~3コマの授業を行います。終わると出欠をシステムに入力します。

驚いたことですが、この大学の学生には「学籍番号」がありません。学籍番号の付いていない学生管理は、大変です。名前にはファーストネーム、ミドルネーム、ラストネームがあり、文字数も多く識別が困難です。「同じ名前の学生も多く、学籍番号がないと間違いやすいので不合理だ」と訴えても、修正する気配はありません。

国立世界言語大学の夜景ウズベキスタン国立世界言語大学の夜景

ウズベキスタン国立世界言語大学で日本語教師のお仕事をしていて、一番やりがいを感じたことは?

授業をしていて学生の成長を実感できることは、うれしいことです。12月に学内で「日本語弁論大会」が開催され、私は実行委員長として会を運営しました。学生は当日の発表はもとより、その準備に相当時間をかけて、さまざまなテーマに取り組んでいる姿に心を打たれました。私が指導担当した学生は2位となり、ウズベキスタン国内大会に出場しました。

学生は礼儀正しく、道で会うと「こんにちは、先生」とあいさつしてくれます。また、留学などに必要な日本語能力試験(JLPT)が年に2回行われますが、「先生、試験に合格しました!」とうれしそうに報告してくれた時などは、とてもうれしいものです。

国立世界言語大学での「日本語弁論大会」国立世界言語大学での「日本語弁論大会」

ウズベキスタンでお仕事をする際に、一番苦労したことは?

一番苦労したことは、やはり私がウズベク語をできないことです。直接教授法で教えているため、細かなニュアンスを表現して伝えたいときは、現地語を話したいですが、できないのでスマホの翻訳アプリを駆使してコミュニケーションを図っています。

仕事におけるマストアイテムはなんですか?

大学の業務は、全て「Telegram」というアプリを介して交流が図られます。成績管理、出席管理、各種申請、教員同士の連絡、学生からの要望、苦情、質問なども全て「Telegram」上で行われます。上司からの連絡・報告などが、昼夜を問わず飛び込んできます。その他、給与の支払い関係、バス・地下鉄・タクシーの予約・手配・支払いなどもスマホで行います。仕事はもちろん、日常生活においてもスマホは必須アイテムです。スマホがなければ生きていけません。

もう一つ、それは「健康」です。身体がうまく機能していないと、これだけの行動はできません。私は定年退職した頃から「脊柱管狭窄症」を患い、歩行困難でしたが、手術をして回復しました。執刀してくれた医師には、今も感謝をしています。私は、朝仕事のとき、宿舎から約3.5キロの道のりを歩いて、教室のあるキャンパスまで通っています。朝に歩くと、気分が爽やかです。

Q.今後の目標は?

私は、既に76歳となりました。ご縁がありこの仕事を始めたことから、この国で懸命に日本での学問や仕事を希望している若者の力になりたいと思っています。

「日本の大学に入学して日本語をグレードアップし、またウズベキスタンに戻り学生に日本語を教えたい」「日本に行ってITやロボット工学関係の仕事をしたい」「日本のマンガ・アニメーションを勉強したい」「日本の自然の美しさや自然環境、ゴミのない日本に憧れている」これらの学生の活動のサポートを、今後も続けたいと思っています。

最後にメッセージをお願いします。

ここ中央アジア諸国には、「・・・スタン」という国が6~7カ国あり、中には危険そうな国もありますが、私の住むウズベキスタンは、治安も良く安全な国です。穏やかなこの国のイスラムの教えか、社会的に穏健な生活が送られています。1年間過ごして身の危険を感じたことはありませんでした。ただ、「交通ルールの順守」「生活環境の改善」「社会インフラの整備」「ソビエト連邦(※)時代の管理社会からの脱却」など、課題は山積しているように思えます。

「この国で日本語を学び、またこれから学びたい」という多くの若者と関わっている中で、日本の外国人政策つまり入国ルールの厳しさを感じます。少子高齢化の中で、志ある外国人が入国し、働き、学ぶことを心から応援する政策を遂行していただきたいと思っています。

※ソビエト連邦:正式名称は、ソビエト社会主義共和国連邦。1991年に崩壊した社会主義国家。ロシア連邦は、ソビエト連邦崩壊後に成立した15の独立国家のうちの一つ

サマルカンドレギスタンド広場サマルカンド市のレギスタンド広場
ブハラ市 チョルミナル(チョル:4本、ミナル:塔)ブハラ市 チョルミナル(チョル:4本、ミナル:塔の意味)

明大生の皆さんへ

とにかく貪欲に外国語を話してください。人との交流から全ては、始まります。交流するためには、「ことば」という共通手段が必要です。交流するための語学は、ラフで結構。全てはコミュニケ―ションから始まります。

3年生(ウズベク語クラス)の授業後3年生(ウズベク語クラス)の授業後
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