こちらの記事は、「明治の“いま”がこの1冊に!」季刊 広報誌『明治』第93号「特別インタビュー」からの転載になります。
- 1989年静岡県生まれ。本学明治大学政治経済学部卒業。在学中は卓球部に所属。
- 関東学生卓球リーグや全日本大学対抗卓球選手権大会での優勝に貢献し、4年次には同部のキャプテンを務めた。全日本卓球選手権では青森山田高等学校在学時から5連覇を果たすなど、10度の優勝を誇る。さまざまな世界大会で好成績を挙げ、東京2020オリンピック混合ダブルスで日本卓球史上初の金メダル、男子団体で銅メダルを獲得。オリンピック後、現役引退を表明した。2021年に紫綬褒章。2022年に明治大学特別功労賞を受賞。
最高のパフォーマンスを見せるために
――東京2020オリンピックの混合ダブルスで日本卓球界初となる金メダル獲得、おめでとうございます。
水谷さん(以下:水谷) オリンピックはアスリートにとって特別な舞台であり、さらに東京で開催されるということで、とても気持ちが入っていました。このために人生をかけて4年間やってきているので、「絶対に最後まで諦めてはいけない」という気持ちと、コロナ禍という状況下でオリンピックを開催していただいているので、見ている皆さんに恥ずかしくないプレー、必死にやっている姿を見せたいと思っていました。
――オリンピックの開催が1年延期となるなど、コロナ禍で過ごす時間は難しかったのではないでしょうか。
水谷 まず練習が禁止になってしまい何もできることがなく、歯がゆさを感じていました。家で過ごす時間が増え「世の中はこんな状況なのに自分はどうしたら良いのだろうか」と自問自答する日が続きました。その中で結論として出したのは「自分はアスリートであり卓球しかできないのだから、プレーをする環境が整った時に、皆さんに最高のパフォーマンスを見せられるように努力するしかない」ということでした。
――オリンピックが開催されることが決まり、出場できると分かった時はどのようなお気持ちでしたか?
水谷 開催前は多くの方が反対していましたし、複雑な気持ちでした。練習を再開してからもオリンピックに向けて練習していますとは言えず、とてもつらかったです。
――オリンピックが始まると熾烈な試合が続きましたが、特に準々決勝のドイツペアとの対戦で大きなビハインドから逆転した場面が印象的でした。
水谷 2対9(ツーナイン)まで追い詰められた場面では、正直逆転できるとは思っていませんでした。私は30年近く卓球をやっていますが、ツーナインから逆転できたことは恐らく一度もありません。最後まで諦めないという気持ちを秘めてはいましたが、内心厳しいとは思っていましたし、非現実的だなというのはありました。でも同時に、もしここから逆転したら本当にかっこいいなとか、一生記憶に残るなとは思っていたので、そこはポジティブだったかもしれないですね。
――試合後に、ペアを組んだ伊藤選手とはどのようなお話をされましたか?
水谷 「奇跡を起こしたね」というような話をしました。本当に奇跡だったと思いますし、二度とあのような大逆転は起きないと思います。卓球は簡単に1点を取られてしまう競技なので、ツーナインから逆転するには一人の力では絶対にできないですし、試合を決める点数を取ってくれたのも彼女なので、最後まで踏ん張ってくれて感謝しています。
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