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スペシャル・インタビュー
2019.02.04

【特集・第2回】歌手・小澤綾子さんにインタビュー

【第1回】歌手・小澤綾子さんに こちら

体が動かなくなる不安 公共学科への進学

――小さい頃はどのようなお子さんだったのですか?

小澤 外に出て、日焼けして真っ黒になるまで遊ぶようなやんちゃな子供でしたが、小学4年生の頃から体が思うように動かないと感じる場面が出てくるようになりました。体育のの徒競走でも自分だけ年々遅くなっていって、周りや先生からもっとまじめに走りなさいと言われたりして。頭では「走れ」と命令しているけれど、体が全然ついてこないんです。ぎこちない歩き方を「うつるから来るな」とからかわれて、傷付いて自分の殻に閉じこもるようになりました。それでも明るい自分でいたいと思って、親や友達には言い出せず、夜寝る前に布団の中でこっそり泣いたこともありました。

――その時点ではまだ原因が分からなかったのですね。

小澤 もしかしたら病気なのかもしれないという思いもありましたが、病院で診てもらったけれど分からなくて。高校に入る頃には、階段を上るのに手すりを使わなければいけないような状態だったのですが、楽しいことに目を向けられるようになっていたのであまり気にしないようにしていました。もともと歌うことが好きだったので、友達とバンド活動をはじめることになりました。好きなことが自由にできて、楽しい生活でしたね。一方で、病気が進行して体が動かなくなりつつあることに対して、不安も感じていました。

――明治大学に進学しようと思われたのはなぜですか?

小澤 自分の体が動かなくなってきていることや、いじめられたり悩んだりもしてきた中で、マイノリティの人が生きやすい社会をつくりたい、人の役に立ちたいという思いを抱くようになったので、福祉関係の仕事に興味を持っていました。経営学部の公共経営学科ではNPOやNGOについて学べるということを知って、明治大学に進学したいと思いました。明治大学の「『個』を強くする大学」というキャッチフレーズもとても魅力に感じましたね。

――明治に入られてどうでしたか?

小澤 高校までは同じ地域に住んでいてどこか似たような考えの人が多かったけれども、日本全国から人が集まっていて、やりたいことも考え方も一人ひとりみんな違ったので刺激的でしたね。

――公共経営学科では何を勉強されたのですか?

小澤 根本孝ゼミで国際経営学を学びました。ゼミの仲間は今でも付き合いがあって、20歳上の先輩や下の年齢の人たちとも交流があります。集まれば「おお明治〜」と肩を組んで歌うあの雰囲気は、学生時代は笑ってしまいましたが、今ではそうやってつながれる仲間がいることはうれしいなと思います。今日、このキャンパスに来る際に明大前駅で降りて気付いたのですが、電車の接近メロディに明治大学の校歌が使われているのですね! 懐かしくて泣きそうになってしまいました。

――私も明大前に来るたびにいつも心の中で一緒に歌っています(笑)。大人になってから見ると素晴らしい歌詞だったのだなと気付かされました。

小澤 卒業してさらに良さを感じますね。そして、恩師の根本先生にもとても感謝しています。先生が亡くなられて10年ほど経つのですが、こうやって幅広い世代の先輩後輩とつながれるのも、ネットワークをつくろうという先生のモットーのおかげです。一生ものの仲間ができたことは明治大学で一番の思い出になりました。

※ページの内容や掲載者のプロフィールなどは、季刊 広報誌『明治』第81号発行当時のものです

>>【第3回】では、小澤さんの人生を変えた二つの出会いについてお聞きしています!

※ページの内容や掲載者のプロフィールなどは、記事公開当時のものです

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