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スペシャル・インタビュー
2019.02.05

【特集・第3回】歌手・小澤綾子さんにインタビュー

【第2回】歌手・小澤綾子さんに こちら

人生を変えた二つの出会い

――明治大学の在学中に病気がわかったということですが。

小澤 そうですね。病名がわかって、「10年後には車いす、その先は寝たきりになる」と医者から宣告を受けて、「車いすに乗るようになったら私の人生は終わりだ」と勝手にショックを受けていました。周りのたちが「いくつになったら結婚して子供は何人がいい」とか「スチュワーデスになりたい」などと夢を語っている横で、できなくなることがだんだん増えて、人の力を借りないと生きていけない私は世の中に必要なのだろうかととても落ち込みました。このキャンパスに来る時に渡る歩道橋は、当時エレベーターがありませんでした。手すりを使っているところを誰にも見られたくなくて、人のいない時間を狙ってこっそり上り下りしていました。冬の季節の凍えるほど冷たい手すりの感触を覚えています。

――そのような状況でどのようにして前向きになろうと思われたのですか?

小澤 私の気持ちを変えてくれる出会いがふたつありました。ひとつめは病院の先生との出会いです。私はこの病気は医学では治らないと思っていたので、先生に対して心を閉ざして反抗的な態度を取っていたんです。すると先生から「あなたはずっとそうやって生きていくつもり? そんなあなたには将来誰も近寄ってこないよ、一人でさびしく死ぬんだね」と厳しい言葉を投げかけられて。最初はますます反発していたのですが、ふと一人になった時に確かにそうだなと思うようになったので、そこからは先生をぎゃふんと言わせてやろうと思って一生懸命前向きに考えるようになりました。

――出発点は反骨心だったのですね。

小澤 車いすになったら海外に行くのも大変だろうと思ったので、海外旅行に行ってみたり、大学のプログラムに参加してリーダーの役割を担ったり、先生への反骨心がいつの間にか前向きな気持ちに変わっていました。

――今しかできないことを徹底的にやろうと思われたのですね。幸い大学生には時間もエネルギーもありますね。

小澤 世の中を斜めに見ていた自分にとって、厳しくも愛のあるメッセージだったと今は感じています。今ではその先生には何でも相談しています。

――もうひとつ大きな出会いがあったのですよね。

小澤 はい。社会人になってから、同じ病気で30年間寝たきりの生活をしている方とインターネットで知り合いました。メールで交流を続けるうちに、その方がつくった歌を同じ病気の私に歌ってほしいと声をかけていただいて。「自分では歌うことも、ベッドから起き上がることもできないから」と。

――そのお話をもらって、即答でOKをされたのですか?

小澤 私にしかできないことは何だろうとずっと考えていたので、歌ってほしい、さらにはCDを出そうと言ってもらえてとてもうれしかったんです。でも、知らない曲を練習して歌うとなると1年くらいはかかるかなとか、CDなら2年後くらいにできたらいいなとか考えていた矢先に、お話をもらってから2カ月後にその方が亡くなってしまいました。どうして私はすぐに行動しなかったんだろうと思いました。人生が明日も1年後も続いていくことは当たり前ではないのだから、やろうと思ったことは今すぐやらなければいけないのだと、その友人が教えてくれたのだと思っています。今では毎日時間が足りないくらいです。

――そのオリジナル曲が『嬉し涙が止まらない』、後にCDになりましたね。

小澤 結局そこから2年近くかかってしまいましたが、クラウドファンディングでお金を集めて完成させることができました。彼が残してくれたこの歌をもっと多くの人に知ってもらおうと歌手の活動をはじめることになりました。

――きっと喜んでくださっていますね。感謝と光に満ち溢れていて、たくさんの人の心に届く曲だと思います。

小澤 私だけではなく彼の生きる喜びが詰まった曲です。私の歌は決して上手くありませんが、心を込めて歌うとたくさんの方に喜んでもらえるのがとてもうれしいです。

※ページの内容や掲載者のプロフィールなどは、季刊 広報誌『明治』第81号発行当時のものです

>>【第4回】では、小澤さんのこれからの夢や、明大生へのメッセージなどをお聞きしています!

※ページの内容や掲載者のプロフィールなどは、記事公開当時のものです

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