こちらの記事は、「明治の“いま”がこの1冊に!」 季刊 広報誌『明治』第81号「卒業生探訪インタビュー」からの転載になります。
明治大学経営学部公共経営学科卒業。
千葉県君津市生まれ。20歳の時に進行性の難病「筋ジストロフィー」と診断される。「10年後には車いす、その先は寝たきり」と医師から告げられ、人生のどん底に落ちる。しかし、元気でいられる時間が限られているなら、今を全力で楽しく生きていこうと決め、「筋ジスと闘い歌う」ことを掲げて活動。イベント・学校・病院・老人ホームなどで講演やライブを行い、病気・障がいの認知活動を行っている。普段は日本アイ・ビー・エム(株)の次世代育成推進部門に勤務し、ダイバーシティー研修や人材教育などを担当している。2017年からは車いすガールズユニット「BEYOND GIRLS」のメンバーとしても活動中。
活躍は世界へ 心と心のコミュニケーション
――(聞き手・竹山まゆみさん〈広報誌明治編集委員〉)小澤さんはお仕事の傍ら歌手として活動されていらっしゃいますね。
小澤さん(以下:小澤) 5年前から歌の活動をはじめました。同じ病気で30年間寝たきりだった方から自作曲を歌ってほしいというメッセージをいただいて、その曲を歌うようになってから、いろいろなところで歌手として活動させていただくようになりました。全国各地で、そして2018年は海を越えてデンマークで歌わせていただく機会がありました。
――日本での活動が評判を呼んだのでしょうか?
小澤 デンマークは「世界一幸せな国」と呼ばれているそうなのですが、「世界一幸せな国に、幸せな歌声を届けてください」というお話をいただきました。私の日本語の歌も一生懸命聴いてくださって、つたない英語で私自身のことや感謝の気持ちを話した際には、目の前で涙を流してくださった方もいました。歌った後、たくさんの方から「ありがとう」と話しかけていただいて、とてもうれしかったです。
――国内でも歌の活動をはじめとして、講演や舞台などにも立たれているそうですね。
小澤 最近、耳が聞こえないダンサーの方々が私の歌と語りに合わせてダンスで表現する、という舞台に立たせていただきました。音のない世界にいる方と合わせるのはとても面白かったです。
――どのようにして合わせていったのですか?
小澤 何回も練習を重ねました。一緒に過ごす時間を増やしているうちに、私がどのタイミングでどのように話すのかを見て、合わせてくれるんです。
――まさに心と心のコミュニケーションですね。
小澤 聞こえて話せるだけではなくて、いろいろな方法でコミュニケーションが取れるのだと、私の世界を広げてくれた舞台でした。
――それだけ精力的に活動されていながらも、お仕事もされているそうですね。
小澤 日本アイ・ビー・エム株式会社の人事部門で若手の育成の担当をしています。もともとシステムエンジニアとして入社しましたが、プロジェクトをまとめるプロジェクトマネージャーを経て、人を育てることに興味を持ちました。2年前から今の部門に移っています。
――お仕事でもコミュニケーションを育むというところは共通点がありそうですね。
小澤 たしかに、仕事もプライベートの歌や講演活動もかなりリンクするところがあります。
車いすガールズユニット「BEYOND GIRLS」のメンバーとしても活動中
>>【第2回】では、小澤さんの幼少期から明治大学進学までのエピソードをお聞きしています!
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